DQN返し

500: 名無しさん@HOME 2013/11/02(土) 12:34:50.34 0
悪気はなかった
トメ(遠方在住)から突然電話があり、うちの子のアレルギーについて罵倒された

    

246: 名無しさん@HOME 2013/05/10(金) 17:16:15.55 0
トメがいわゆるメシマズだった
当時まだ彼氏だった夫に初めてオムライス作って出した日に泣かれたレベル
(冷凍や外食じゃないのにおいしい、というかオムライスらしいオムライスを初めて食べたんだそうな)
こっちはえらい家だったんだなあと他人事気味に夫(仮)に手料理を食わせ続けて味覚修正に成功。
そして義実家におじゃまして夕飯をごちそうになる所でメシマズに直面した

58: 名無しの心子知らず 2008/07/11(金) 01:31:36 ID:EJ5sdIgg
やっと娘のぐずりが納まって寝たんで吐かせて下さい。
DQ返しですが鬱積貯まってたんで。

日中、風通しの良い北側の窓を開けてます。
外開きの出窓なんで網戸もついてない開放のみの明かり取り用の窓なんだけど
そこは家の裏側なんで、通りからは開け放ってても見えないので。
腰の高さの出窓なんだけど、窓際に置いたぬいぐるみや小物がここ最近よくなくなっていました。
風で煽られて落ちたのかな?とか思って探してもないし
不思議だったんだけど、気味が悪いから出窓には物を置かないようにしてました。



383: 名無しの心子知らず 2011/02/13(日) 15:03:07 ID:MqvurV5N
俺の嫁が、泥を撃退なのかなー?した話。
セコケチか?とも思ったが、泥棒されてるしこっちかな。

俺の嫁、いつもニコニコ笑ってるような人で、怒る所は見た事がない。
んで、俺と嫁は特撮シリーズが大好きで知り合って結婚したようなもの。
今日始まった、特撮戦隊物を見て、そのテンションでおもちゃを買いに行った。
銃の形のおもちゃと、サーベルの形のおもちゃをGET。
袋にいれてもらって、さあ車に積んで帰るぞ!って時。
横から、サッと手が出て、銃の方を見知らぬ女性に奪われてしまった。
俺と嫁、( ゚д゚)ポカーン

586: 名無しさん@HOME 2013/09/30(月) 14:46:47.97 0
結婚式の時作ってもらったアルバムを荷造り途中に見返してみたら私の顔が塗りつぶされたり、切り取られてたりした。

939: 名無しさん@HOME 2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN 0
二世帯完全同居で、夫の両親の立てた家に住んでる。玄関風呂台所も一緒。
同居数年目まではいい嫁になろうと努力してた。
義母のお小言も、自分が至らないから、人としてなっていないから、教育してくださっているのだと我慢、夜、寝床でひっそり泣いた。

21: 名無しさん@HOME 2015/12/11(金) 00:42:17.32 0
妹がトメにしてくれたDQN返し。許可をもらったのでカキコ。

うちのトメは車で20分くらいの所に住んでる。暇なのかどうか知らんが、よく家に勝手に上がり込んでる。しかもいつの間にか作ったのか、
合鍵も作って、私がパートでいない時も勝手に来る。
いる時は散らかってるとか、家具にほこりがー、とか典型的な文句言ったり、夕飯の準備してると、それもケチつける。
で、いない時に何で来てるのか分かったというと、冷蔵庫の食材とかティッシュとか、後たまに食器とかがなくなってるんだよね。

401: 名無しさん@HOME 2013/06/28(金) 19:20:34.61 O
ウトさんが亡くなったのを期にトメと同居。
何事もなく平和だったところに、夫の単身赴任にくわえ、義弟さんが有名大卒の嫁と結婚した頃からトメが豹変。

251: 1/4 2009/12/04(金) 12:02:20 ID:cm+DsQN/
今まで、「誰にも言わない」という約束を守ってきましたが、時効かとも思うのでフェイク込みで。
時系列は私が認識した順番になっています。

私が高校を卒業するまで住んでいた新興住宅地では、年一回、私が通っていた中学校を会場に、
地域の親交を深めるための運動会があった。
毎年、お昼時に現れるセコケチで有名なシングルママ(離婚、持ち家、非ナマポ)は、小学生の
子供を連れて、「家にお弁当を忘れてきちゃったの。余分にあったら少しわけていただけない?」と
空のタッパーを持って、校庭でお弁当を食べているグループを回っていた。

100: 名無しさん@おーぷん 18/09/02(日)09:56:11 ID:EtU
もう四半世紀も昔の黒い過去。
我が家は貧乏で、とても大学に行かせてもらえるような経済力はなく
かと言って借金だけはするなと教えられてきたから、奨学金をもらって大学へという選択も持ってなかった。
お金がないから高卒で就職するってのは私にとってある意味当たり前の自然な選択だったわけ。

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