毒親

62: 名無しさん@おーぷん 2015/07/28(火)17:27:28 ID:EGv
夫が絶縁した私の親に私の情報を売ってた
道理で引っ越してもアドレス変えても手紙やメールが届くはずだよ
売ったというか情報リークしてただけだけど
そのせいで不眠や吐き気が止まらなかった
夫はずっとそばについてて慰めてくれたけど
同じく絶縁してたはずの姉がポロっとメールで漏らして分かった
謝ってくれたけど夫が毒親と同じ人種じゃないかと思えて仕方がない
いま別居(夫が前の家に戻ってる)してるけど細切れでこんなメール↓が来る
    

798: おさかなくわえた名無しさん 2018/04/19(木) 04:29:14.78 ID:oKTEauER
正直うちの親は毒親だったと思う
子供の頃は殴られて育った
幼稚園の同じ組の子達とそのお母さん達で集まった時
飲み物をこぼしてしまったら鬼の形相で
「○△$♪×¥●&%#?!」と叫びながら思いっきりビンタ→私ギャン泣き
周りのお母さん達は「きゃあっ」とビックリしてたし、私の友達も泣いたり、目まん丸にしてフリーズしてたり

幼稚園の頃友達におもちゃを貸さなかったら、後ろから頭を蹴られベランダに放り出され鍵をかけられたり

幼稚園か小学校低学年くらいの頃、公園で遊んでたら、私の自転車の周りで小さな子どもがうろちょろしてたみたいで
それが倒れて小さな子どもに直撃
すると母は人目を気にせず首根っこ掴んで顔や頭にグーパン3連発
向こうの親も「私が見てなかったのが悪いんです!!」と必タヒにフォロー入れてた

小学生の頃弟が「ごはんおかわりー」と茶碗差し出してきて
私宿題あるから自分でやってよと言ったら
母に髪の毛引っ張りまわされて、四つん這いにされ背中の皮が剥けるまでほうきで叩かれた事もあった

たまに父と母両方に殴られたり蹴られたり
ちょっとした事で髪の毛掴んで引きずり回されて、冬の寒空の下放り出されたり

覚えてるだけでもこれだけ
あの頃は、頭たんこぶだらけ、顔や体にはよくアザを作ってた
母は常にイライラしてて
「チッチッチッチッチ」と連続舌打ちと
「バカッ!ブヮーーーーカ!!!」が口癖だった

4: おさかなくわえた名無しさん 2017/10/24(火) 22:07:37.90 ID:9q1AnkfH
うちの親は特殊で、子供である私にとにかく大量の食事を食べさせる人だった
物心ついた頃には常人の三倍~五倍は当たり前で、どんなに苦しくても残すことは許されなかった
隠れてトイレに吐いているところを見つかったときにはトイレの水ごと吐瀉物を食べ直させられたし(それがトラウマで吐けなくなった)
胃が破裂しかけて二回入院したけどそれでも変わらなかった
拒絶すれば顔が腫れるくらい殴られたし口の中が切れても変わらぬ量を強制されたのでそのうち抵抗をやめた

お陰で中学の頭には100キロを超え、高校で130キロを記録
中学高校と運動する部活に入ってたけど当然減量できるわけもない
当たり前のように男子からいじめられたけど醜いことを自覚していたので静かにしていたし
大人に注意されたり心配されても曖昧に笑って誤魔化していた
誰も親の所業を知らなかったし、何故か私も知られてはならないと思い込んでいた
親の洗脳かもしれないし自粛かもしれないが、とにかく殆ど怯えるように隠し通していた

続きます

347: 名無しさん@おーぷん 2015/09/16(水)07:54:55 ID:xdf
双子の姉がひき逃げされてから人生が滅茶苦茶になりました。
私は妹の方。一卵性だからよく知っている人間でもない限り見分けがつかなかった。
高校に入ってすぐ姉が部活帰りにひき逃げされた。普段は自転車通学をしていた姉だが、その日は雨の日で親が車で迎えに来るのを校門から少し離れた場所で待っていた。
幸い発見が早く命は助かったけど、入院生活が続いた姉は留年した。犯人は捕まらなかった。
双子だから当然同じ学年だったけど、私が二年に進級したころ姉は不登校になった。部屋に閉じこもったまま泣きわめいて部屋を荒し八つ当たりするようになった。その時罵倒の対象になるのが決まって二年に進級した私で、自分だけ二年に進級したことが申し訳なかった。
母や兄に妹子も留年してやればよかったと言われたことも私のなかでは修羅場。
結局姉は中退。一日中部屋に閉じこもって過ごしていた。
このころから姉はリストカットを繰り返すようになった。最初は私も心配したが、次第にそれが姉のかわいそうな自分を演出するためのパフォーマンスだと気づいた。
三年になって、私は大学進学を希望していたけれど相変わらず引きこもりの姉が私の進学を快く思うはずもなく、ひき逃げに遭って以来姉を溺愛するようになった母と二人がかりで家庭内イジメが始まった。
食事に洗剤混ぜられたり、腐った物を弁当に詰められたり。私の部屋やクローゼットにわざと生ゴミを置いたりしてくれたおかげで私や衣服には腐ったにおいが染み付いた。
そんな部屋で過ごしているので、自分のにおいがイヤで毎日早朝に家を出ては銭湯に行ってから学校に通うようになったけれど、それでも制服についたにおいがとれなくて学校でもイジメを受けるようになった。
受験を控え、連日課外授業を受けていた私に17時門限を強いて、守れるわけもなく連日門限破りの罰と称して体罰をされた。
ストレスで夏休みに入る前には元は50kg台の体重が35kgになっていた。頭にハゲがいくつもできた。
父は仕事仕事で家におらず、電話をしても「忙しい」の一言で切られる。兄は無関心。救いはどこからもなかった。
何もかも嫌になって、姉が何度目になるかわからないなんちゃってリストカットをした日、私は腐ったにおいが充満する自分の部屋で本気リストカットをした。
普通の女の子の握力では手首を切っても大した出血にならないらしい。実際姉のリストカットは薄皮を切る程度ですぐに後も消える。
ただ、私は姉が事故に遭ってすぐに辞めさせられたが、バレー部だったので握力が男の子並みにあった。バスケットボールを片手でつかんで振り回すくらいのことは簡単にできた。
私は見事に動脈をぶった切ったらしい。発見したのが元医療従事者の祖父母でなければたぶん本懐を遂げただろう。神経をやったらしく、私の右手は今でも動かない。(左利きです)
母方の祖父母は遠方に住んでいて、その日は偶々姉を心配して夫婦で訪ねて来ていた。家の中で孤立していた私は知らなかったが。
もっとも私は168cmあるので、35kgはいつタヒんでもおかしくないレベルだ。今思えばリストカットをしていなくてもそう遠くないうちに倒れていただろう。
祖父母が私を救急車で病院に運んだ。病室で意識が戻った時、もう何もかもがどうでもよかったので私は何一つ反応らしい反応をしなかった。
精神病院に放り込まれた。正直そのころのことは曖昧でよく覚えていない。覚えていることといえば、ああ平和だな~ってぼんやり思ったことと、面会日に祖父母が来てくれたことだ。
頭がはっきりしたのはそれから随分経ってからだ。医師の適切な治療もあって、35kgまで落ち込んだ私の体重が40kg台になった頃だと思う。
祖父母が面会に来てくれた日に当然ばああああっと、姉がひき逃げされた日から手首を切るまでの日々が頭に浮かんだ。泣き叫んで暴れた。
祖父母は私が家でどういう立場にいたのか知っていた。そのときは知らなかったが、私の戸籍は実家からすでに抜かれ祖父母の養子になっていた。祖父母は母と絶縁し、行き場のない私を拾い上げてくれていたのだ。

149: 名無しさん@おーぷん 2014/05/19(月)21:00:34 ID:pSSrAWHAX
私の両親は絶対に褒めてくれない人だった。
幼稚園のときに初めて逆上がりができたとき、「将来に役立つ事でもないのに褒めるようなことか?」と言われた。
運動会で1等を取れば、「周りが遅かっただけ」と突き放された。

小学生になれば、周りの家庭が羨ましくなっていた。友達はテストの点数が90点でも褒められるんだもの。
私は100点を取っても「100点なんて取って当たり前、褒めるようなことではない」と褒めてもらえず。
小学校時代はなんとか親の気を惹きたくて様々な分野で頑張りまくった。
席書コンクールで金賞を撮り、作文が市の小さな冊子に載り、マラソン大会では上位五位以内に入賞。
これら全て褒めてもらっていない。「褒めれば調子に乗るし」と言うだけ。

私が小二のときに妹が産まれた。
この妹、私とは相反してベタベタ甘々に育てられた。
両親の絵を描いただけで褒められ、逆上がりができて褒美を与えられるほど褒められていた。
妹はおせじにも出来が良いとは言えず、二桁の足し算も苦労していたのに納得できなった。

890: 名無しの心子知らず 2015/08/16(日)14:45:26 ID:hEI
私の知らないところで私のために修羅場が起こっていたことを知った修羅場。

私と旦那は大学入学時に付き合い始め、卒業と同時に結婚する予定だったんだけど
ウトメが旦那sageコトメ(高校生)ageばかりのテンプレ毒親で猛反対されていた。
私は幼い頃両親を亡くし、育ての親の祖父母も鬼籍に入ったので親類は兄一人だけだった。
そんな金と縁のない女とは結婚させられない!もっと金ヅルのような家柄を嫁にしろ!というウトメ。
ウトメは旦那から絞ったお金をコトメにつぎ込み、優秀な教育・大学・就職…というレールに乗せたかったらしい。
悩む私夫婦の相談に乗ってくれた兄から「安心しろ何とかしてやる」という励ましを受けた後、
それからしばらくしてウトメからの反対や嫌がらせが無くなり、無事に結婚することが出来た。

266: 名無しさん@おーぷん 2016/12/15(木)17:07:46 ID:tmm
中学の時父の浮気で子供の私まで母にイラネされた
頭の湧いてた父は離婚してすぐ愛人を家に呼び寄せ父と愛人と私の三人暮らし開始
露骨な邪魔者扱いはされないまでも、明らかに余分な物扱いで
置いて行った母親を恨みそうになるたびに母も父の浮気で傷ついたんだろうなって、
自分に言い聞かせていた
会いに行っても顔を見ると父を思い出して辛い、一緒には暮らせないって言われると
どうしようもなかったし

なのに、一年ぐらいたった時に母がやってきて凄い剣幕で怒鳴りつけられた
「どうしてあの女なんかと仲良くしてるんだ!私を裏切ったのか!」

円満にやらなければ他に行くところがないという一心で、
波風立てなかったのが母にはお気に召さなかったらしい
母の計画では、私が感情のままに暴れ父と愛人にダメージを与え
2人が破局した辺りで私を回収するつもりだったってさ

ああ、私って捨てられたんじゃなくて復讐の鉄砲玉だったんだなって思った瞬間、
なんか今まで必死に守らなきゃ握ってなきゃ我慢しなきゃって思ったものが全部溶けちゃった
割とさ、親の金で今まで通り生活してるだけって思うかもしれないけど
事の元凶どもに媚びるしかない状況って学生の自分にはすごいストレスだったのね

なんか涙がぼろぼろ止まらなくて、上記の事を嗚咽交じりに訴えたらさすがに母も良心残ってたのか
場所がファミレスだったから人目気にしたのか、おろおろし出しだしてさ
「もういいから一緒に暮らそう。引き取りに来た」っていうんですよ

615: 名無しさん@おーぷん 2016/01/02(土)18:19:02 ID:ThJ
もう六年ぐらい前の話。姉に携帯を逆パカされたこと。
最初は目の前で何が起こっているのか分からなかった。
どうやって仕事関連の連絡取ろうか。ネットができない(当時パソコン壊れていて携帯でネットしていた)。彼氏にメール返せない。
色んな不安が沸いてきて「ぎゃーー!!!!」ってリアルで叫んで姉の胸を殴って壁に叩きつけてしまった。

うちは典型的な長女に厳しくて次女に甘い家だった。
「学生の本分は勉強」「家と私を放っておかないで」と言われて、姉は週7日塾に行かされて勉強に邪魔なものは買ってもらえていなかった。
そのうえ家事も姉の担当だった。自律神経なんちゃらと言って母はよく家事をサボっていた。
手伝おうとはしたけど断られた。
門限は高校生になっても六時。友達と遊ぶ時は母に会わせないといけなかったようだけど、私の記憶が正しければ母は姉の友達に家族構成や住所まで聞いていた。
姉は大学受験の何ヵ月か前に吐き気を訴えるようになって一日の大半を眠って過ごすようになった。
そのまま家にいる。

255: 名無しさん@おーぷん 2016/05/03(火)00:55:00 ID:8Lm
ウチの家は母の日のプレゼントが原因で両親が離婚した。

母は誰がどう見ても『猛毒母』って判断がつく人間だったと思う。
昔はそうではなかったらしいが、私と弟が生まれてからは性格が急変したんだそうな。
そんな母の性格を短くまとめると『天上天下唯我独尊』『異論反論反抗厳禁』『有象無象俺様解釈』。
この三つで全ての説明がつく。
とにかく如何なる理由があっても自分最優先。他はガン無視。
こっち(主に私)が何か自分の意見を言うと途端に大爆発して暴れまくり(無論殴られることはザラ)、最悪の場合家を飛び出して数日居なくなる。
父や祖父母(父の側の祖父母は亡くなっており、母方祖父母と暮らしてた)が何度も諌めようとしてくれたが、
「どうしてコイツ(私)の味方をする。教育のためなんだから私に味方しろ」と金切り声で叫んで更にヒートアップする有様。
父は何度も離婚を考えたらしいが、当時5歳と3歳だった私と弟の事が母に引き取られたらと思うと心配で踏み止まっていたらしい。
しかし、そんな父が離婚を決断する事件が母の日に発生した。

前置きしておくと、母は凄まじい(どころの騒ぎではない)メシマズ。
味付け・レシピ・調理方法…これら全てが俺様解釈。
なんてったって、お湯で溶かすだけの赤ん坊用のミルクに「身体にいいから」という理由で黒酢をお湯と同量入れるという恐ろしい事をやらかしたくらいだし。
それを嫌がって泣きだした当時赤ん坊だった弟と「こんな物赤ちゃんに飲ませちゃダメだ」という祖母にキレまくって母は数日間家出した。
なもんだから、私は母が作った料理を美味いと思ったことは一度もない。

そんな母でも母は母だから「母の日だから、母のために晩御飯を自分で作ろう」と思ってそれを祖父母に提案。
祖父母もそれに賛成してくれた。
慣れないけども祖母の助けを借りながら包丁を使って野菜を切り、ひき肉を混ぜてがんばってハンバーグを作った。
そして、完成からちょっと経ってから、パートから帰って来た母をリビングに誘導して「いつもありがとうお母さん」と言って母の日の初めてのプレゼントのハンバーグを見せた。

122: 名無しさん@おーぷん 2015/12/10(木)09:12:57 ID:9X1
長い駄文ですが、お付き合いいただけましたら幸い。
面倒な方はスルーしてください。

私には一回り以上年の離れた姉がいる。
元々両親は晩婚で、私は遅くにできた計画外の子だ。はっきり言っていらない子だった。
両親は姉を溺愛していたが、私は授業参観も運動会も来てもらった覚えがない。
そんな両親の愛情を盗られるとでも思ったのだろうか。年の離れた姉には子供の時から苛め抜かれた。

私が中学になる前にその姉が結婚した時には、これで姉から解放されると嬉しかったけれど、嫁いだ後も姉は頻繁に帰ってきては私をイビり、両親は止めるどころか一緒になって私を責めた。

そんな家が嫌で高卒で家を出て十九歳で一つ年上の旦那と結婚した時も、散々な言われ方をした。
(私は早生まれなので学年は一つ上。)
私の旦那は当時定時制の高校を卒業し、進学するために掛け持ちで仕事をしていた。
全日制の高校に進学できなかったバカwww
底辺は底辺と結婚する。
負け犬は一生負け犬よねwww
と、両親と姉は面と向かって旦那をバカにした。

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