毒親

4: おさかなくわえた名無しさん 2017/10/24(火) 22:07:37.90 ID:9q1AnkfH
うちの親は特殊で、子供である私にとにかく大量の食事を食べさせる人だった
物心ついた頃には常人の三倍~五倍は当たり前で、どんなに苦しくても残すことは許されなかった
隠れてトイレに吐いているところを見つかったときにはトイレの水ごと吐瀉物を食べ直させられたし(それがトラウマで吐けなくなった)
胃が破裂しかけて二回入院したけどそれでも変わらなかった
拒絶すれば顔が腫れるくらい殴られたし口の中が切れても変わらぬ量を強制されたのでそのうち抵抗をやめた

お陰で中学の頭には100キロを超え、高校で130キロを記録
中学高校と運動する部活に入ってたけど当然減量できるわけもない
当たり前のように男子からいじめられたけど醜いことを自覚していたので静かにしていたし
大人に注意されたり心配されても曖昧に笑って誤魔化していた
誰も親の所業を知らなかったし、何故か私も知られてはならないと思い込んでいた
親の洗脳かもしれないし自粛かもしれないが、とにかく殆ど怯えるように隠し通していた

続きます

    

149: 名無しさん@おーぷん 2014/05/19(月)21:00:34 ID:pSSrAWHAX
私の両親は絶対に褒めてくれない人だった。
幼稚園のときに初めて逆上がりができたとき、「将来に役立つ事でもないのに褒めるようなことか?」と言われた。
運動会で1等を取れば、「周りが遅かっただけ」と突き放された。

小学生になれば、周りの家庭が羨ましくなっていた。友達はテストの点数が90点でも褒められるんだもの。
私は100点を取っても「100点なんて取って当たり前、褒めるようなことではない」と褒めてもらえず。
小学校時代はなんとか親の気を惹きたくて様々な分野で頑張りまくった。
席書コンクールで金賞を撮り、作文が市の小さな冊子に載り、マラソン大会では上位五位以内に入賞。
これら全て褒めてもらっていない。「褒めれば調子に乗るし」と言うだけ。

私が小二のときに妹が産まれた。
この妹、私とは相反してベタベタ甘々に育てられた。
両親の絵を描いただけで褒められ、逆上がりができて褒美を与えられるほど褒められていた。
妹はおせじにも出来が良いとは言えず、二桁の足し算も苦労していたのに納得できなった。

266: 名無しさん@おーぷん 2016/12/15(木)17:07:46 ID:tmm
中学の時父の浮気で子供の私まで母にイラネされた
頭の湧いてた父は離婚してすぐ愛人を家に呼び寄せ父と愛人と私の三人暮らし開始
露骨な邪魔者扱いはされないまでも、明らかに余分な物扱いで
置いて行った母親を恨みそうになるたびに母も父の浮気で傷ついたんだろうなって、
自分に言い聞かせていた
会いに行っても顔を見ると父を思い出して辛い、一緒には暮らせないって言われると
どうしようもなかったし

なのに、一年ぐらいたった時に母がやってきて凄い剣幕で怒鳴りつけられた
「どうしてあの女なんかと仲良くしてるんだ!私を裏切ったのか!」

円満にやらなければ他に行くところがないという一心で、
波風立てなかったのが母にはお気に召さなかったらしい
母の計画では、私が感情のままに暴れ父と愛人にダメージを与え
2人が破局した辺りで私を回収するつもりだったってさ

ああ、私って捨てられたんじゃなくて復讐の鉄砲玉だったんだなって思った瞬間、
なんか今まで必死に守らなきゃ握ってなきゃ我慢しなきゃって思ったものが全部溶けちゃった
割とさ、親の金で今まで通り生活してるだけって思うかもしれないけど
事の元凶どもに媚びるしかない状況って学生の自分にはすごいストレスだったのね

なんか涙がぼろぼろ止まらなくて、上記の事を嗚咽交じりに訴えたらさすがに母も良心残ってたのか
場所がファミレスだったから人目気にしたのか、おろおろし出しだしてさ
「もういいから一緒に暮らそう。引き取りに来た」っていうんですよ

255: 名無しさん@おーぷん 2016/05/03(火)00:55:00 ID:8Lm
ウチの家は母の日のプレゼントが原因で両親が離婚した。

母は誰がどう見ても『猛毒母』って判断がつく人間だったと思う。
昔はそうではなかったらしいが、私と弟が生まれてからは性格が急変したんだそうな。
そんな母の性格を短くまとめると『天上天下唯我独尊』『異論反論反抗厳禁』『有象無象俺様解釈』。
この三つで全ての説明がつく。
とにかく如何なる理由があっても自分最優先。他はガン無視。
こっち(主に私)が何か自分の意見を言うと途端に大爆発して暴れまくり(無論殴られることはザラ)、最悪の場合家を飛び出して数日居なくなる。
父や祖父母(父の側の祖父母は亡くなっており、母方祖父母と暮らしてた)が何度も諌めようとしてくれたが、
「どうしてコイツ(私)の味方をする。教育のためなんだから私に味方しろ」と金切り声で叫んで更にヒートアップする有様。
父は何度も離婚を考えたらしいが、当時5歳と3歳だった私と弟の事が母に引き取られたらと思うと心配で踏み止まっていたらしい。
しかし、そんな父が離婚を決断する事件が母の日に発生した。

前置きしておくと、母は凄まじい(どころの騒ぎではない)メシマズ。
味付け・レシピ・調理方法…これら全てが俺様解釈。
なんてったって、お湯で溶かすだけの赤ん坊用のミルクに「身体にいいから」という理由で黒酢をお湯と同量入れるという恐ろしい事をやらかしたくらいだし。
それを嫌がって泣きだした当時赤ん坊だった弟と「こんな物赤ちゃんに飲ませちゃダメだ」という祖母にキレまくって母は数日間家出した。
なもんだから、私は母が作った料理を美味いと思ったことは一度もない。

そんな母でも母は母だから「母の日だから、母のために晩御飯を自分で作ろう」と思ってそれを祖父母に提案。
祖父母もそれに賛成してくれた。
慣れないけども祖母の助けを借りながら包丁を使って野菜を切り、ひき肉を混ぜてがんばってハンバーグを作った。
そして、完成からちょっと経ってから、パートから帰って来た母をリビングに誘導して「いつもありがとうお母さん」と言って母の日の初めてのプレゼントのハンバーグを見せた。

672: 名無しさん@おーぷん 2016/02/16(火)12:06:22 ID:84X
うちの母親はちょっと頭おかしかった
どのぐらい頭おかしいかというとOL時代に後輩さんを精神的に追い込んで退職させたことをドヤ顔で自慢するぐらい
後輩さんへのいじめの内容も、ゴミの浮いたお茶を上司に出して後輩さんが淹れたって嘘吐いたとか報告すべきことを報告したって嘘吐いて実は報告してなかったとか迷惑なことばっかり
私が直接知る限りでもクズいエピソードは数えきれない
真っ昼間に子供が公園で走ってるだけでうるさいだの静かにしろだの若いお母さんに説教
砂場にいた幼女を蹴っ飛ばす
わざわざ女子高生に近寄っていって邪魔って言ってぶつかる等々…

郵便受けに真っ赤な字で「タヒねタヒねしねry」って100個ぐらいタヒねって書かれた紙切れが入ってたことがある
父さんは温厚な人だし当時私もお姉ちゃんも小学生だったから心当たりは母親関連しかない

302: 名無しさん@おーぷん 2017/07/25(火)21:19:11 ID:lW3
一時間前の話。怒りで長文に・・。嫌な人はスルーで。

突然、実母(超毒親)から電話が入った。
弟が職場の大会で優勝したらしく、来月に全国大会を控えているとのこと。
母親は高齢で、次回息子の勇士が見れるとは限らない。
そんな母が可哀想と思った私の姉(絶縁中)が連れて行ってくれるので見に行ってくる、と。
(私は来なくていいとのこと)

大会は地方で行われる為、ホテルなり飛行機なりのお金がかかる。
その分は姉が出してくれるらしいんだけど、
姉に悪いから自分(母親)と弟と姉が楽しく過ごすための“寄付”をしてくれないか?
との内容だった。

姉が西から飛行機で母を迎えに行き、母を連れて少し戻った東で大会を見る、という計画らしい。
(沖縄から母を迎えに青森行って、大会は東京、というイメージ)
そもそもそんなまどろっこしい計画をするから余計に金がかかるわけであって、
どっちも住んでる場所が北と南で遠方だし、大会開催地が中間なんだから現地集合でいいじゃん。

要は私以外の家族が楽しむために金出せって話?と聞いたら、「そうじゃなくて寄付してってこと!あんたは昔から捉え方がひねくれてる!」
と話が長くなってきたんで被せるようにキッパリ断ったら、子供みたいに拗ねて
「あーーそうですか、じゃあもう電話しません。連絡もしないわ!」ってガチャ切り。

もうなんか色々神経分からん。バカなのか?バカなのだろう。バカなのだ。

178: 名無しさん@おーぷん 2016/10/29(土)12:26:07 ID:roK
子どもの頃から母に「お姉ちゃん(私のこと)だけが頼りよ」って言われていい気になっていました。
はっちゃけという言葉があるけど、28年間ずっとはっちゃけてたんだと思う。
「妹はいい加減な子」「お父さんはあんな人だから(父=サイマーパチンカス)」
「お姉ちゃんがいてくれないと家はダメになる」
「タヒにたい」「離婚したらお姉ちゃんは付いて来てくれるよね?」
「妹はお父さんにあげればいい」「お姉ちゃんだけいればいいわ」
↑が口癖の母に
「タヒぬなんて言わないで」「離婚しなくていいよう私が頑張るから」
「私が大きくなったら楽させてあげる」
を言って慰めるのが昔からの私の役目で、実際そうするんだ、そうするべきだと信じてた。
妹は要領のいい子で、家事から逃げて友達と遊んでた。
私はバカだから「頭が痛い」「具合が悪い」っていつも寝てる母の代わりに家事をしてた。
父が家にお金を入れないから、高校になったら掛け持ちでバイトした。
行きたい高校はバイト不可だったからバイト可の高校にした。
妹は高校卒業したらさっさと出来婚して家から逃げた。
母は「出来婚なんて」ってぶつくさ言ってたけど、いざ孫が生まれたらデレデレ。
父もデレデレ。家にはお金入れないくせに、孫にはなんでも買ってやる。
そしてこのたび、私は家を追いだされることになりました\(^o^)/

24: 名無しさん@おーぷん 2016/08/14(日)22:46:43 ID:kkp
昔、高速道路で置き去りにされた。
旅行の帰り道、家まであと一時間くらいのところで運転中の母と喧嘩した。
原因は確か私が「ベルばらのアンドレって英語ではアンドリューなんだよ、知ってる?」
という一言がなぜか母の逆鱗に触れ、突然烈火のごとく怒られ、大喧嘩に発展した。
・「知ってる?」とか偉そうな言い方をするな
・そんなお前がいい大学に行ってもつけあがるだけで絶対にロクな大人にならない
・だから予備校をやめさせてやる
以上が母の言い分で、
・偉そうにしたつもりはない、なんとなく言ってみただけ
・高3の10月だか11月だかで今から受験が始まるのに嫌がらせしないで
・そもそも母がしつこく行けといったくせにそんなくだらない理由で辞めろなんておかしい
以上が私の言い分だった。今でも私はそこまで悪くないと思ってる。
売り言葉に買い言葉で親子喧嘩はヒートアップし、とうとう母は片手ハンドルで私の髪の毛をつかんで振り回し始めた。
この時点でも相当危ないんだが、「やめろキ××イ!こ×す気か!」と叫んだことでとうとう母が運転の合間に両手で私のことを殴り始めた。
もうめちゃくちゃあぶないし死ぬかと思った。当然だけど運転中だから抵抗もできない。
で、「おろせ!」って思わず言っちゃった。間違いなくこのままだと事故を起こすと思ったから。車フラフラだったし。
私は助手席から後部座席に移動するつもりでおろせ、って言ったんだけど、車から降りた途端に走り去られた。
後部座席のドアにかけていた手がはじかれてものすごく痛かった。

526: 名無しさん@おーぷん 2017/05/27(土)15:23:52 ID:eSW
自分の家がだらしなかったこと。

友達A子の一人暮らし家に私含めBとCと泊まりに行った。
まず、玄関に靴がない。聞くと、全部シューズボックスに入れるらしい。
あと、服が床に落ちていない。脱いだらすぐにハンガーにかけたりして片付ける。
ご飯は食べ終わったあとすぐに洗う。食べたら流しにつけて、横にならない。
お風呂のお湯は終わったら抜いて、窓を開ける。湯船も抜いた後に洗う。うちはそのまま。週一でカビ掃除。
お惣菜はたまにしか買わない。うちは毎食お惣菜。

物凄く驚いて衝撃的。他人の家にお邪魔することが本当に幼稚園以来なかったから余計に…

帰るときに、C子に「泊まりに行くならお土産とか持って行った方がいいよ」と言われて再度、衝撃的。
Bと話していると、BもA子の家の綺麗さに衝撃的だったらしい。自分家に帰って来て、リビングの机の上を片付け始めたら、母親に「物がどこに行くかわからないからやめて!」と叱られた。
なので、自分の部屋を片付けると、妹が妹の私物を私の部屋にドバーッと大量に置いて「彼氏が来るから、お姉ちゃんの部屋に置いて置いてね」と言われて大喧嘩になった。
大喧嘩してる間に、母も妹の彼氏が来るからって理由で階段に置いてた荷物などを私の部屋に置いて、余計喧嘩になった。
これ、今さっきの話。泣いて家、飛び出して来た。帰りたくない

156: 名無しさん@おーぷん 2015/01/20(火)18:45:06 ID:dIh
もう10数年前だが、祖母が新聞紙に包まれてた重い何かを私に渡して、
「絶対みんなにバレないようにあなたが隠して持ってなさい。私が死んだらそれを持ってこの家
を出なさい。必ず大事に使いなさい、この家にもう戻ってはいけないよ」と言った。

この時私は高校出て、家事と寝たきりの祖母の介護をしてた。夜の介護も私なので同室。
大学は「馬鹿だから行くな」と親に言われた。
子供の頃から塾に通っていい大学に行った兄に比べれば、私は塾も習い事も行ったことない
馬鹿なので、しょうがないなと思ってた。
兄の習い事での表彰状が家じゅうに貼ってあった。羨ましかったけど、「お前には引っくり返っても
貰えないよ」と祖母以外のみんなに言われて育ってたので、そうなんだなと思った。

祖母は「○○ちゃん(私)だって賢い子だよ」と言ってくれたが、家の中で病気がちな祖母の発言は弱かった。
家は会社人間の父と、趣味と社交に没頭する母、出来る兄と、奴隷要員の私と、ガンの手術と再発を繰り返
してる祖母の5人暮らしだった。

祖母は冒頭の会話の二年後、最後のガン手術から結局回復しないまま心不全で他界した。
祖母の部屋からは手術前に残した手紙が見つかって、
「数年前○○会社の○○と名乗る男性のつまらない投資詐欺に騙されて、お父さん(祖父)から相続
した貯金をほとんど無くしてしまいました。恥ずかしくて今まで隠してました。ごめんね」
という内容だった。

両親と兄は「介護までしたのに!恩知らずのババアが!!」と大激怒。
私はただ泣いていた。

祖母の介護がなくなったので、私は家を出ることにした。
両親は「家事はどうするんだ」と怒ってたけど、結局は「高卒出のバイト暮らしなんて、
すぐ立ち行かなくなるぞ」「週末は家事しに戻ってこい」と言って送り出してくれた。

それが両親の顔を見た最後。兄の顔見た最後はいつだったか。全然思いだせない。
祖母から預かった新聞紙の包みの中身は知ってた。
アパート借りる保証人になってもらう時親に見せた住所は偽物。
遅くなったけど専門学校に入り資格を取り就職、その後縁あって結婚も出来た。

祖母のお金は入学金とバイトが見つかるまでの生活費にしか使わず、結局まだほとんどが金庫に
残っている。
これがあれば何も怖くないよと、いつも祖母が背中を押してくれてるような気がしてる。


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