自タヒ

535: 名無しさん@おーぷん 2014/07/03(木)00:28:06 ID:y2WX1eEzf
申し訳ありません、書捨てです。この場を借りて私の気持ちを吐き出させて下さい。


夫とは20歳の時バイト先で知り合い付き合い初め3年前に結婚し今のアパートに住み始めました。
夫は阪神淡路大震災で両親と三歳の妹を失ったのですが他に身内もおらず孤児院で育てられた人で
「両親や妹が天国から見守ってくれている」「両親や妹の分まで絶対に幸せになるんだ!」
と会ったバイトの飲み会で言っていました。

94: おさかなくわえた名無しさん 2017/07/31(月) 19:48:23.32 ID:c4qR1rI4
長文&連投になるので、お忙しい方は飛ばしてください

結婚して旦那実家に嫁に来た。
知り合いもいなくて寂しかったので、嫁に来てすぐに料理教室のパンフ見つけて通いだした。
そこで知り合ったのが、おっとりした可愛い奥様Aと、美人でキツイ性格の奥様B。
3人とても気が合って、子あり小梨の違いはあれど、すぐ仲良くなった。

415: 名無しの心子知らず 2011/06/21(火) 10:32:19.87 ID:aJgHplYQ
一昔前の話なんだけど投下していいかな
後味悪く説明下手で目が滑るかも知れませんが
昨日母に泣かれたので厄落とし?

338: おさかなくわえた名無しさん 2016/08/11(木) 08:16:53.91 ID:2mM5fPLS
個人的には修羅場じゃないけど大家さんが修羅場った話

大学生の頃、同じ学科の友人(今後Aと表記)が大学の自治会という胡散臭い団体に入っていた
どんな活動をしている団体なのか不明で、俺は未だに良く知らない
Aがそこの入った経緯も知らないが、授業中、「活動が大変。なんで大学まで我慢して勉強してきた
のに俺だけこんな目に遭うんだ。」などと愚痴っていた
Aは男子だけの進学校出身で中学高校と殆ど遊ぶことなく勉強に邁進して入ってきた学生の鑑のよう
なやつだったが、その分大学に入ったら思いっきり女と遊べると思っていたらしい

834: おさかなくわえた名無しさん 2017/10/21(土) 04:29:18.60 ID:InUJmRZZ
娘が原因(?)で娘の友達が自タヒしたこと

娘はなぜか昔から人に依存されやすかった
娘が小学生の頃は娘の同級生が別々に「自分以外と遊ばせないでほしい」と言ってきたり
玄関の前が騒がしいと思ったら娘の友達が「娘ちゃんは自分と遊ぶんだからあんたは帰って!」と掴み合いしてたりした

それに比べて当の本人は「無理面倒臭い遊びたくない」と家でこぼしていて(多分外では言ってなかったんだろうけど)その頃から人付き合いしたくない性格なんだなって思ってた。

そして娘には今で言う「人間関係リセット癖」があった(この名前を知ったのは最近)

小中学生の頃は学年が変わるごとに「あの子はクラスが違うからもう友達じゃないよ」と言ったり
高校にあがると小中の友達は友達じゃないと言って連絡を断ち、バイト先で友達ができてもバイトを辞めると連絡を断ち
もちろん高校を卒業したら高校でできた友達は友達ではなくなっていた
娘が「友達じゃない」と判断するたびに家に娘の元友達が「最近遊んでくれない」「お話ししてくれない」「どうして無視するの」と抗議しにきた
最初は娘も「だってもう友達じゃないでしょ」と自分で言っていたんだけどだんだん面倒臭くなったのか私に「同級生来たらいないって言って追い払って」と頼んで来た
私も小中学生に家の周りをウロウロされるのも嫌だったし
「娘は今おばあちゃんのところにいるよ」とか「今日は習い事で帰りが遅くなるから」とか言って頑張って追い払ってた(帰ってくれない子もいたけど)

長いので切ります

367: 名無しさん@おーぷん 2016/09/29(木)21:14:56 ID:xay
中学の時、ちょっと変わった同級生の男の子(A)がいた。
Aは例えば体育の授業でソフトボールをやると、自分がピッチャーじゃないと気が済まない。
他のポジションを与えると大声で文句を言い、思い通りにならないと泣き叫ぶ。
仕方なくピッチャーをやらせれば、打たれると同じようにキィィィィ!!となる。
ドッヂボールをやると執拗にひとりだけ狙った。その子はクラスで一番身体が小さい女の子で
毎回その子を明らかに狙っている。泣かしたこともあった。
その子が可哀想で、みんなで囲んで守ったこともあった。
そして自分がボールを当てられると激高してボールを遠くに蹴り飛ばしたりする。
とにかく我儘で自分勝手で協調性がない。
そのくせ勉強だけは学年トップだった。たぶんこれも一番じゃないと気が済まないんだろう。
今思えばなんらかの障碍だったような気もするが、当時は“勉強はできるが関わりたくない子”と思われていた。
3年生になっていよいよ受験一色になってきた頃、トップが入れ替わった。
これまで不動の一位だったAはトップを奪われたどころか3位だったか4位だったかまで落ちた。
(ちなみにうちの中学は上位20位まで廊下に貼り出していた)
そこから登校拒否が始まった。
先生たちは一生懸命説得に向かっていたが、私たちは正直言って受験のことで頭が一杯だったし
むしろ平和になったわ~って感じだった。
Aには悪いけど、いつもいつAが癇癪起こさないかとヒヤヒヤしてたから。
結局留年にならない程度には登校していたが、成績はどんどん下がり志望校も滑り止めもダメだったらしい。
以来Aがどうなったか話題になることもなかった。

成人式のあと、中学のクラス会があった。
前以て案内があって、卒業した中学の教室に集まることになっていた。
そこで初めて幹事からAが亡くなっていたことを知った。
幹事も案内状の回収で初めて知ったそうだ。
最初こそ微妙な空気になったものの、次第に久しぶりの再会に盛り上がるクラス会。
その会場に突然知らない女性が現れた。Aの母親だった。
そして誰の案内もなく唐突に挨拶が始まった。

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