毒親

117: 名無しさん@おーぷん 2016/01/18(月)21:38:49 ID:irv
吐き出したくて来ました。
いい年をしたおばさんの愚痴や後悔混じりの話しになりますがお付き合いください。
弟が自タヒした話なので不快な方は読み飛ばしてください。

私はいわゆる毒親の元に生まれた。
両親は典型的な田舎の長男教で、長男以外はいる価値がない。
むしろ、家計のためにはいないほうがいいという考えの持ち主で、男ならまだしも女は猫といっしょでガキを作るしか能がないと常々言い続けていた。
そんな親は三つ下の弟を異様に溺愛したが私のことは徹底的にイビリ続けていた。

召使いのような扱いを受け、毎朝5時に起きて廊下の雑巾がけをしなければ箒や棒のようなもので打たれた。
食事すらロクに与えてもらえず、両親は自分たちが食べ残した物を私に投げてよこした。空腹に耐えきれず、投げつけられて落ちた物を拾って食べる私を「卑しい」と罵り、蹴られることも珍しくはなかった。

今でこそ開けてきてコンビニや大型スーパーもできたし電車が開通したことで拓けたけれど、私が子供の頃は何もなかった。もしあったら私は万引きしてでも食べたと思う。
子供だった私は飢えに耐えかねて近所の畑を荒し、土がついたままの大根や葉っぱを齧っては見つかって怒られた。
若い人にはピンとこないだろうけど、地元は男優先の男尊女卑が今も根付いている地域で、女だっていうだけで無意味に貶める風潮が少なからずあった。
全員が全員そうだったわけじゃないんだろうけど、閉鎖的な環境で暮らしていたその頃の私は、周囲に助けを求めてもムダだと学んでいた。

毒親に溺愛された子というと、毒に染まったどうしようもない人種だと思われがちだが弟は違った。
両親に食事すら与えてもらえない姉に、弟はよく自分のお菓子を分けてくれた。
見ているところで分けると「弟のものを盗り上げた」と余計にひどい暴力に晒されるので、親が寝静まったころにこっそりと食べずにとっておいたお菓子を持ってきてくれた。
幼いなりに自分の家がおかしいとわかっていたのか、ニヤニヤと笑いながら私をいたぶる両親に何度もやめるように言ってくれた。

でもその当時の私には、弟を可愛いとは思えなかった。
両親の愛情を唯一独占している弟が妬ましかった。はっきり言えば僻んでいた。
私は着古してボロボロの服を着て、暖房も扇風機もない三畳足らずの物置で寝起きしていたが、いつもきれいな服を着ていた弟にはエアコンのついた部屋が与えられていた。
男に生まれただけで何不自由なく恵まれた待遇にいる弟を、妬まずにいられるほど大人ではなかった。
弟のほうは「姉ちゃん、姉ちゃん」と言って懐いてきたがそれすら煩わしかった。
今にして思えば、弟は随分さみしい思いをしたんだと思う。
両親は弟を溺愛していたが押し付け的なところが多々あった。
弟が姉に懐く姿を見て、「弟に色目を使うようなアバズレ」と姉に暴力と暴言を浴びせる親だ。まともではない。
そんな親の愛情を受けたところで弟は辛いだけだったんじゃないかと。

464: 名無しさん@おーぷん 2014/05/31(土)02:14:38 ID:ypOvpatHH
ちょっと長いです。修羅場まっただ中。

前提。
私の姉は生まれつき手に障害がある。
訓練すれば日常生活に支障はないけど、見た目ではっきり判るような障害。
私はその姉を不憫に思った両親が、姉の将来の為に作った子供。
幼い頃から、パパママが居なくなってからは
私ちゃんがお姉ちゃんの面倒を見るんだよって言い聞かされて育った。

でも、障害以外の面で、姉は何もかも私より優れてた。
姉は美人で(仲間由紀恵似)明るくて頭も良い。
私は地味顔でネガティブで成績は平凡。
私は、小学生の頃から、こんなに可愛くてなんでも出来るお姉ちゃんの面倒を
どうして私なんかが見る必要があるのかなって疑問だった。
とはいえ、姉本人は私に優しかったし姉妹仲も悪くなかった。

姉が26才、私が24才の頃の話。
私は地味なりに平凡なりに、大学を出て就職して
職場の先輩の紹介で出会った男性(A)と付き合って
1年経ったあたりで結婚しましょうかって話になった。

Aを両親に紹介した時もプチ修羅場で、両親はAの前ではニコニコしてたけど
私が結婚してしまったら姉の将来はどうなるんだって反対された。
でも、姉本人が大丈夫だって言ったんだ。
姉も結婚を視野に入れて付き合っている男性が居るからって。
その人は収入が安定していて穏やかで優しい良い人だって。
そういう人が居るならって、両親もそれからは私の結婚に反対しなくなった。
その時は心底姉に感謝したよ。

226: ◆8B8X/67LrWes 2014/06/20(金)22:15:08 ID:3rxPDZKWG
自分の人生が結構な修羅場。
長いです。

幼児期の私は所謂放置子だった。
三歳で近所の公園に一人で遊びに行ってた記憶がある。
小学生になり、一時友達は出来たが段々と虐められるようになる。
小さい頃には虐められる原因が解らなかった。
大人になって幼少期の自分を振り返ると、距離感が掴めてないKY児童だったと判明した。
虐めに暴力は無かったが地味に精神を削られ続け、立派なコミュ障に成り下がる。
そんなもんで仕事もルーティンワークな仕事にしか着けず、中卒で就職し底辺な暮らしをしていた。
成人した翌月、母親から保険証持って着いてこいと凄まれる。
借金の申し込みと解った私は「毎月給料の半額家に入れてるのに何でそんなお金ないん?いくら親子でもお金の事に関しては譲れない。」と頑なに断る。
結果「親が困ってる時に助けない子供は要らん」と家から追い出される。
半月は仕事を通じて巡り会った数少ない友達のお宅にお世話になりながら住み込みの仕事を探す。
地域を選ばず何処でも飛べる派遣社員になった。
居住が西日本から東日本に移った。
居候させてくれた友達には暫く働いてお金を貯めたのちに改めてお礼と言う名目で回ってないお寿司屋さんでご馳走をした。

派遣になってからは無我夢中に働いた。
コミュ障があるので自分を表現するのは下手だったが、幸いな事に仕事仲間には恵まれていた。
そこで知り合った同僚から、趣味のゲームに誘われた。
所謂オンラインゲームと言う奴。
あまりゲームに触れた事がなかった私でも、同僚のリードがあり溶け込んでいけた。
自分を反映させたそのキャラクターには支援系の職業をやらせてスキル回しやらを必タヒに覚えた。
ゲームの世界で、誰かから必要とされる気持ちを貰ってPC前で一人で泣く事もあった。
そんな世界で知り合った人達と飲み会をする機会があった。
自分が参加して良いのか解らなかったから黙っていたけど「貴女も参加するよね?ってかおいでよ!」と言われて嬉しくて参加表明した。
そこで色んな年代の人達とワイワイ楽しく飲みながら、少しずつ自分らしさを見つけて行った。

ある日、その世界の一人の男性から告白をされた。
飲み会であった時から気になっていたと言われた。
告白されるのも始めてで返事に困っていると「急がなくていいよ。」と言われ、暫く返事を保留にしていた。

少しずつ距離を狭めていって、正式にお付き合い開始。

890: 名無しの心子知らず 2015/08/16(日)14:45:26 ID:hEI
私の知らないところで私のために修羅場が起こっていたことを知った修羅場。

私と旦那は大学入学時に付き合い始め、卒業と同時に結婚する予定だったんだけど
ウトメが旦那sageコトメ(高校生)ageばかりのテンプレ毒親で猛反対されていた。
私は幼い頃両親を亡くし、育ての親の祖父母も鬼籍に入ったので親類は兄一人だけだった。
そんな金と縁のない女とは結婚させられない!もっと金ヅルのような家柄を嫁にしろ!というウトメ。
ウトメは旦那から絞ったお金をコトメにつぎ込み、優秀な教育・大学・就職…というレールに乗せたかったらしい。
悩む私夫婦の相談に乗ってくれた兄から「安心しろ何とかしてやる」という励ましを受けた後、
それからしばらくしてウトメからの反対や嫌がらせが無くなり、無事に結婚することが出来た。

753: 名無しさん@おーぷん 2014/10/22(水)12:59:40 ID:kLZkQKUmk
私の旦那の両親が凄まじくクズだった。
旦那は生まれてすぐ育児放棄された。
望まれずに生まれた子で、まだ目を開いていない状態で捨てられた。
見かねた旦那父の友人が養子として引き取り愛情込めて育てたんだと。
旦那のどちらかの祖父母が引き取らなかったのかなと思ったが、生きているのかタヒんでいるのかもわからない。
今回の修羅場には一切関わってこなかったからいないんだと思う。
だから私の姑さん舅さんは旦那父の友人夫婦。この人達は本当に良い人たちです。

旦那が数年前に車にはねられて入院した事があった。
ほんの少しの間だが、記憶が飛んで私の事も義両親(旦那父友人夫婦)の事もあやふやに。
そんなときに凸してきたのが旦那の実両親だった。

もう凄かったわ。旦那がかなり稼いでる事を知っていて、こちらに援助すべきとか、嫁(私)は介護するために看護師の資格を取れとか騒ぎまくってた。
義両親が子供を捨てたくせに何を馬鹿な事を!とブチギレたが、実両親はのうのうと
「あんたを育てたのは私達。こいつらは(義両親)記憶の無いあんたを騙して集ろうとしている」と言ってのけた。
騙して集ろうとしてるのはあんたらだろ!!と思わず怒鳴っちゃった。
すると実両親が、「私達がしっかり育てていれば、こんな野蛮で守銭奴な女にひっかかる事はなかった」ですって。

781: 名無しさん@おーぷん 2014/10/25(土)20:24:30 ID:EhG8vul9q
母親に放置され衰弱していく弟を病院に連れていったときが修羅場だった

当時私は5歳、弟は2歳だった。
私の父の顔は知らないが、弟の父の顔は覚えてる。弟が生まれてすぐいなくなった。この時点で母は×2
母は3日に一度帰ってくるだけ。帰ってきた日に大量に米炊いて皿に盛ってまた出かけていく。
私は5歳だったけど幼稚園や保育園に行ってなかった。
入園式には出た記憶はあるような無いような。すごくあやふやになってしまっている。
私は大量に炊かれた米を食べ飢えをしのぎ、弟にもそれを与えてた。わたしがスプーンですくって口の中に入れる感じ。
弟は上手に咀嚼できなくてむせたりしてた。

697: 名無しさん@おーぷん 2014/10/20(月)02:26:06 ID:jEtjPZM0v
例のニュースを見て思う所があったので。
だらだら書きます、毒親案件です。母親の首を力いっぱい絞めた話です。

両親は物心ついた頃から不仲で、父が「デブ、ブタ」と罵って母を泣かせてたのをよく覚えてます。
どうも妊娠を機に劇太りした母に愛想が尽きたらしく。
母も女ですから、見栄えを罵られるのは辛かったのでしょう。よく泣いてました。

当時は気付いてなかったのですが、そのストレスのはけ口は私と私の兄に向けられていました。
遊ぼうと外に出ると血相を変えて母が現れ、人目がある場所で尻を丸出しで叩かれたり。
他の子が食べるお菓子や、玩具付きのラムネ菓子が欲しくてじっと見てると頬をぶたれたり。
しかし最後は決まって泣きながら私を抱きしめ、「あんたのことを思ってやっている」と言われました。
それをそのままに信じました。

兄は母に進められ、剣道を嗜んでいました。
腕もよかったので他のママ友から褒められたり、同い年の子らの中でも中心的な存在でした。
そのせいか、マイペースで活動的な「トラブルメーカー」の私を遠ざけようとしてました。
父は仕事とパチンコで滅多に家におらず、母は父に罵られ私を叩いて家出して家におらず。
兄もまた両親と私から逃げたかったのか友人と外でよく遊び(兄は窘められませんでした)家におらず。

部屋から出ると母にぶたれると学んでいたので、保育園がない時はひとり薄暗い部屋でずっとテレビを見るのが日常でした。
これが小学校転入前位。

290: 名無しさん@おーぷん 2014/09/22(月)15:15:19 ID:7pm44RAMe
私は年子の実妹が大嫌い。
子供の頃から親の姉妹に対する差別が凄まじかった。
もう「お姉ちゃんなんだから譲ってあげなさい」のレベルがそんじょそこらの家庭とは違う。
記憶ある中で一番最初のやつは、幼稚園の運動会で一番をとって貰ったメダルを「お姉ちゃんなんだから」と没収され、妹に渡された。妹は妹でメダル貰ってるのに。
祖母が送ってくれた誕生日プレゼントを「お姉ちゃんなんだから」と妹行き。
席書コンクールで金賞を取り、市内の小さな冊子に乗ったら、「実は妹が代筆した。」と周りに広める。
友人と応募したアイドルのチケットを「失恋中の妹ちゃんに譲れ」と取られかけ、びりびりに破れた。

そんなんだから妹は調子に乗り、少しごねれば姉の物は私の物☆と思うようになった。親は親でどんなに心情を訴えても、世の中の妹や弟は優先されるべきという考えを曲げなかった。

4: 名無しの心子知らず 2015/05/15(金)02:56:35 ID:GPI
私が子供産めなくなったまでの最大の修羅場

昔から私の母は私のことを国語の教科書に出てくる品行方正な委員長みたいな扱いをしてた
髪の毛は伸ばしておさげ、服装はブラウスにスカートに白い靴下、コートも無地の落ち着いたもの
筆記用具は実用性のあるものでキャラクターものはなし
皆がバトル鉛筆にはまっている中私はトンボ鉛筆
女の子たちはカラーペンのコレクションをやりだしたけど、私が与えられたのは蛍光マーカーと赤ボールペン

母親は学校からの書類にきちんと目をとおすし、保護者記入欄はきっちり書く人だったけど
参観日や運動会や発表会には来なかったし、お弁当も作ってもらったことがなかったからコンビニのお弁当を持たされていた
夏休みなどの長期休暇は家でお留守番を命じられたし、その際に時間を潰すために与えられたのは学習ドリルと勉強教材のビデオだった

私は知らないところでストレスが溜まっていって、生理が中1の春頃に始まったものの、中2の春には気づけば止まっていた
三ヶ月くらいこなくておかしいと気づいた
誰にも相談できず、きっと母なら助けになってくれると、正直に「お母さん、生理がきてないの」と伝えた
母はこれまで見たことのないような般若のような顔になり、「いつ!いつからきてないの!」と怒鳴りつけた
「三ヶ月くらい・・・」
「売女の子が!どこで孕んできた!」
私は頭が真っ白になった
「言え!相手は誰!吐け!吐きな!はやく!」
頬を何度か叩かれて、私は怖くなって全力で否定した
「違う!なにもしてない!なにもしてない!」
「嘘つけ!」
「嘘じゃない!違う!なにもしてない!」
必死に否定していると、母に本気でガツンと頭を殴られた
クラクラする頭で母に無理矢理引っ張られ、靴も履かずに制服姿で産婦人科に連れて行かれた
私が必死に違う!違う!なにもしてない!と訴えるのを他所に、母は私が妊娠しているかもしれないと受付に告げて診察させられた
先生はおじさんで、他に看護師が2人いて、母まで見ていて、あんな羞恥を受けたのは初めてだった
診察も激痛だった
指を入れられ、機械を入れられ、股から血が流れていた
結局生理不順と診断されたが、私はそのままストレスで生理がこないまま、高校生で閉経した
女性ホルモンが出ないせいで、高校生にして更年期のような症状に悩まされた
ホルモン剤は出たものの、女らしく育つ暇もなかった身体はよく男と間違えられる

父は今になって、母だと思ってた人は母ではないことを伝えてきた
父は浮気をして愛人との子をなした
それが私
愛人は大卒のエリートの女性で父の出張先にいた人らしい
私の母は高卒で、だから私にエリートを求めたのかもしれない
母に売女の子と呼ばれた時からなんとく察していた
でももっと早く知りたかったよ
無条件に愛した母がそんな私を憎くて仕方なかったんだとしたら、母には謝っても謝っても足りない
もっとはやく母の愛情を受けてはいけないんだと気づいていれば、母の負担になることもなかったのに

266: 名無しさん@おーぷん 2016/12/15(木)17:07:46 ID:tmm
中学の時父の浮気で子供の私まで母にイラネされた
頭の湧いてた父は離婚してすぐ愛人を家に呼び寄せ父と愛人と私の三人暮らし開始
露骨な邪魔者扱いはされないまでも、明らかに余分な物扱いで
置いて行った母親を恨みそうになるたびに母も父の浮気で傷ついたんだろうなって、
自分に言い聞かせていた
会いに行っても顔を見ると父を思い出して辛い、一緒には暮らせないって言われると
どうしようもなかったし

なのに、一年ぐらいたった時に母がやってきて凄い剣幕で怒鳴りつけられた
「どうしてあの女なんかと仲良くしてるんだ!私を裏切ったのか!」

円満にやらなければ他に行くところがないという一心で、
波風立てなかったのが母にはお気に召さなかったらしい
母の計画では、私が感情のままに暴れ父と愛人にダメージを与え
2人が破局した辺りで私を回収するつもりだったってさ

ああ、私って捨てられたんじゃなくて復讐の鉄砲玉だったんだなって思った瞬間、
なんか今まで必死に守らなきゃ握ってなきゃ我慢しなきゃって思ったものが全部溶けちゃった
割とさ、親の金で今まで通り生活してるだけって思うかもしれないけど
事の元凶どもに媚びるしかない状況って学生の自分にはすごいストレスだったのね

なんか涙がぼろぼろ止まらなくて、上記の事を嗚咽交じりに訴えたらさすがに母も良心残ってたのか
場所がファミレスだったから人目気にしたのか、おろおろし出しだしてさ
「もういいから一緒に暮らそう。引き取りに来た」っていうんですよ

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