毒親

484: 名無しさん@おーぷん 2015/11/08(日)09:10:11 ID:BDH
旦那は男3兄弟の末っ子。
旦那の話によると、長兄は成績優秀・運動神経抜群・容姿端麗のいわゆる完璧な子供だった。
比べて次兄と旦那は平々凡々でとりたて目立ったところはなかったという。
旦那両親(義両親)は、長兄にばかり愛情を注ぎ、次兄と旦那にはネグレクトは無いものの、基本放置。
幼かった次兄と旦那は義両親の気を引くために問題を起こしてばかりいた。余計にダメな子扱いを受けたらしいけど。
次兄は中学に入ったあたりからグレた。不登校夜遊び飲酒喫煙・・・義両親は更に次兄にキツく当たった。
旦那はグレはしなかったが、何事にも意欲がわかず、成績も5段階中 2~3という中途半端な結果を出して義両親に文句を言われていた。
比べて長兄は相変わらず順風満帆で、幸せ絶好調。弟二人を見下し、挙句の果てには「おまえらと血が繋がっているのが最大の汚点」と言ってのけたらしい。
旦那は長兄に可愛がられた記憶がなく、グレた次兄に可愛がられた。兄弟との思い出は次兄しか出てこないと言っていた。

791: 名無しさん@おーぷん 2016/01/07(木)21:56:33 ID:nBR
始めて書き込みます。

ある年子の姉妹の話。
今はもう四十路になっています。
長いうえに鬱な内容です。
人によっては胸糞と感じられるかもしれません。
説明不足な点やわかりにくい点も多々あると思います。
鬱陶しい、不快だと感じられたらスルーでお願いします。

その家の両親は「しからない教育」でコドモたちの自立性を養うとか言っていた。実際、子供が何をしても叱ったことがない。
遊んだあとの玩具を出しっぱなしにしていても、友達とケンカをして相手に怪我をさせてしまっても。
何をしても「いいのよ」とにこにこ母親は笑っていたし、子供がほしいと言えば玩具でも何でも買ってあげていた。小学5年生のクリスマスに姉はティ○ァニーのピアスをねだり、デパートまでいっしょに買いに行った。
大金持ちというわけではなかったけれど、何万もするものを買い与えてしまう程度には家は裕福だった。
両親の感覚が世間一般からズレているのはピアスの一件でわかると思う。
まともな感覚を持っている親は小学生にピアスを開けさせたりはしない。開けたがっても止めるだろう。
自分の親がおかしいと、先に気づいたのは妹の方だった。

妹はこの世にはやっていいこと悪いことがあって、社会には社会のマナーというものがあると中学で運動部に入ったことで学ぶことができた。
違反した場合、それなりにペナルティがあるということも。
事実、姉はせっかく姉妹で合格した私立中学を「ピアス・毛染め禁止」という校則を掲げる学校側がいくど注意しても改めず、一年の終わりを待たずに退学になった。
両親や姉は「どうしてそのくらいで退学になるのか」と訴えていたけれど、それがルールだからだ。
そもそもこの世にマナーがあるから、街には信号や歩道があって安心して歩けるわけだ。

一つおかしいと思う点が見つかれば、自分のおかしさはいくらでも見つかった。
妹は箸の持ち方がおかしかった。食べものが口に入っているときに喋っていた。家族が全員そうだったから、それが普通だと思っていた。
家の普通は普通じゃない。そう気づいてから妹は自分の感覚を普通にする努力をした。
家の感覚を正そうと両親と姉に何度も会話を試みたが、実ることはなかった。
私立中学を退学になった姉は地元の中学に転入したが、そのころから思い通りにならないとヒステリーを起こすようになった。
妹が相変わらず私立中学に通っていたこともヒステリーを育てることになった原因だろう。
子供に甘い両親は、相変わらず姉の言うことを聞き続けた。
姉が「妹子だけあの中学に通っているのはおかしい!私が退学になったんだから妹子も辞めるべきだ!」と主張すると「そうだね。姉ちゃんがかわいそうだもんね」と言い、妹を転校させようとした。
妹は一週間ハンストして転校を回避した。
「姉ちゃんがかわいそうだから」を振りかざす両親に「転校させるなら餓タヒしてやる」と水だけで過ごした。
病院送りになった妹を見て、両親は転校を撤回した。
それから姉妹の仲は険悪になり、姉は何かあると「ハンスト」をするようになったが、食べないのは家の中だけで外ではしっかり食べていたようなので姉が体調を崩すことはなかった。

615: 名無しさん@おーぷん 2016/01/02(土)18:19:02 ID:ThJ
もう六年ぐらい前の話。姉に携帯を逆パカされたこと。
最初は目の前で何が起こっているのか分からなかった。
どうやって仕事関連の連絡取ろうか。ネットができない(当時パソコン壊れていて携帯でネットしていた)。彼氏にメール返せない。
色んな不安が沸いてきて「ぎゃーー!!!!」ってリアルで叫んで姉の胸を殴って壁に叩きつけてしまった。

うちは典型的な長女に厳しくて次女に甘い家だった。
「学生の本分は勉強」「家と私を放っておかないで」と言われて、姉は週7日塾に行かされて勉強に邪魔なものは買ってもらえていなかった。
そのうえ家事も姉の担当だった。自律神経なんちゃらと言って母はよく家事をサボっていた。
手伝おうとはしたけど断られた。
門限は高校生になっても六時。友達と遊ぶ時は母に会わせないといけなかったようだけど、私の記憶が正しければ母は姉の友達に家族構成や住所まで聞いていた。
姉は大学受験の何ヵ月か前に吐き気を訴えるようになって一日の大半を眠って過ごすようになった。
そのまま家にいる。

122: 名無しさん@おーぷん 2015/12/10(木)09:12:57 ID:9X1
長い駄文ですが、お付き合いいただけましたら幸い。
面倒な方はスルーしてください。

私には一回り以上年の離れた姉がいる。
元々両親は晩婚で、私は遅くにできた計画外の子だ。はっきり言っていらない子だった。
両親は姉を溺愛していたが、私は授業参観も運動会も来てもらった覚えがない。
そんな両親の愛情を盗られるとでも思ったのだろうか。年の離れた姉には子供の時から苛め抜かれた。

私が中学になる前にその姉が結婚した時には、これで姉から解放されると嬉しかったけれど、嫁いだ後も姉は頻繁に帰ってきては私をイビり、両親は止めるどころか一緒になって私を責めた。

そんな家が嫌で高卒で家を出て十九歳で一つ年上の旦那と結婚した時も、散々な言われ方をした。
(私は早生まれなので学年は一つ上。)
私の旦那は当時定時制の高校を卒業し、進学するために掛け持ちで仕事をしていた。
全日制の高校に進学できなかったバカwww
底辺は底辺と結婚する。
負け犬は一生負け犬よねwww
と、両親と姉は面と向かって旦那をバカにした。

136: 名無しの心子知らず 2015/05/27(水)11:53:37 ID:Iuj
母が入院中で、家に自分(当時中1)しかいない時
納屋で父に首吊りされた時が修羅場。

父はサイマーな上、「妻子を苦しめるのが趣味」といつも言ってた変な人だったから
(だから私一人しか家にいないタイミングで吊ったのもわざと)
タヒんだのは悲しくなかったが、とにかく後始末が大変だった。
タヒ体が運ばれていったあと、納屋は中身全部入れ替えなきゃいけなかったし
近所の人や警察の対応もしなくちゃならなかったし
病院にも学校にも行かなきゃいけないのにーってパニックだった。
学校でもしばらくヒソヒソされたし。

父は私たちあての遺書をいちおー残してて
「借金も何もかも放り捨てて押し付けてタヒんでやる。ざまあみろ」みたいな内容だった。
でも母は連帯保証人等にはなってなかったから
弁護士入れていろいろ権利放棄して終わりだった。詰めが甘いよ父。

母が退院して、母の稼ぎで母子二人で暮らすようになったら
生活水準がグンとあがった。浪費する人いなくなったから。

1つ幸いだったのは、よく毒父持ちの人が
「父親に愛されなかった代償として、成長して父に似た人を選んで愛されようと共依存に…」
っていうのを聞くけど、うちの父があまりにあからさまなクズで
「お父さんに愛されたい」なんてカケラも思えないくらい嫌いだったから
成長して父に似た人を見ると即距離おく&逃げるようになれたこと。

なんでか嗅覚がはたらいて
「あっ!これは父タイプのやつだ!ピコーン」ってすぐわかる。
(ちなみにこの「父タイプ」は性別関係ない。女にも父タイプはいる)
あとヅラもすぐわかる。

166: 名無しさん@おーぷん 2015/12/14(月)17:07:42 ID:Tev
ずっと母のこと自尊心の高い人だと思ってた
「一人の男に愛された経験もない癖に」「結婚して子供を産んだ時点で私は勝ち馬に乗ってるから」
などドラマみたいなセリフを度々言ってた
本当は自尊心の低い人だったんだわ
自分を誇れないから「女である」っていう女であれば誰もが持っている点で男から評価されて喜ぶことでしか自尊心を保てない人
男の評価に拘る母は女の人をメチャクチャ嫌っていた
テレビに芸能人が映ると必ず「整形」「不倫」と悪口を言う
女の人が道を歩いてるとわざとぶつかろうとする&足を蹴っ飛ばす(男の人には会釈して笑顔で道譲ってたからわざとだと思う)
車椅子とか杖とか補聴器とか分かりやすい障碍者の女の人には聞こえるような声で「ビ○コ」みたいな差別用語を言ってた
特に用もないのに化粧品コーナーを歩いて「ブスのくせに化粧して気合入れて無意味www」
横を歩いてる私は小さい時から申し訳なさでいっぱいだった

女の人に対する母の憎悪の矛先は姉と私にも向いた
最初に顔面グーで殴られた時のは3歳の時だったかな
物心付いたのがそのぐらいだったから本当はもっと昔から殴られてたかも
殴る蹴る程度ならまだ耐えれたけど、熱したフライパンを顔に近付けられるとかベランダに連れて行かれて「悔しけりゃ飛び降りてみろよどうせタヒねない癖に」とかタヒの危機に晒されるのは流石に堪えた
今でも料理はIHじゃないと心臓が苦しくなる

私たちが大きくなって肉体的な支配が無理になると母は過干渉に走った
学校は毎日母が送り迎えして友達との登下校&放課後の遊びを禁止
友達との会話なんか見られた日には名前を言うまでご飯お預け
連絡網から電話されて、もううちの子供とは喋らせないで下さい的なことを言われた
宿題を捨てられて先生に説教された
基本的に学校以外で外に出られることは許されなかった
携帯は与えられたけどメール含めたSNSは全面禁止だったしたまに母のチェックが入るのであまり使わなかった
服も髪型も下着も母に指定された
「悔しけりゃ小遣いやバイトで買え」って言われたけど小中と小遣いなし&高校生になっても1000円とかそんな状態じゃ服や美容院の余裕なんてなく
案の定ヒョウ柄とか全身黄色とかダサい服しか買ってもらえなかった

266: 名無しさん@おーぷん 2016/12/15(木)17:07:46 ID:tmm
中学の時父の浮気で子供の私まで母にイラネされた
頭の湧いてた父は離婚してすぐ愛人を家に呼び寄せ父と愛人と私の三人暮らし開始
露骨な邪魔者扱いはされないまでも、明らかに余分な物扱いで
置いて行った母親を恨みそうになるたびに母も父の浮気で傷ついたんだろうなって、
自分に言い聞かせていた
会いに行っても顔を見ると父を思い出して辛い、一緒には暮らせないって言われると
どうしようもなかったし

なのに、一年ぐらいたった時に母がやってきて凄い剣幕で怒鳴りつけられた
「どうしてあの女なんかと仲良くしてるんだ!私を裏切ったのか!」

円満にやらなければ他に行くところがないという一心で、
波風立てなかったのが母にはお気に召さなかったらしい
母の計画では、私が感情のままに暴れ父と愛人にダメージを与え
2人が破局した辺りで私を回収するつもりだったってさ

ああ、私って捨てられたんじゃなくて復讐の鉄砲玉だったんだなって思った瞬間、
なんか今まで必死に守らなきゃ握ってなきゃ我慢しなきゃって思ったものが全部溶けちゃった
割とさ、親の金で今まで通り生活してるだけって思うかもしれないけど
事の元凶どもに媚びるしかない状況って学生の自分にはすごいストレスだったのね

なんか涙がぼろぼろ止まらなくて、上記の事を嗚咽交じりに訴えたらさすがに母も良心残ってたのか
場所がファミレスだったから人目気にしたのか、おろおろし出しだしてさ
「もういいから一緒に暮らそう。引き取りに来た」っていうんですよ

672: 名無しさん@おーぷん 2016/02/16(火)12:06:22 ID:84X
うちの母親はちょっと頭おかしかった
どのぐらい頭おかしいかというとOL時代に後輩さんを精神的に追い込んで退職させたことをドヤ顔で自慢するぐらい
後輩さんへのいじめの内容も、ゴミの浮いたお茶を上司に出して後輩さんが淹れたって嘘吐いたとか報告すべきことを報告したって嘘吐いて実は報告してなかったとか迷惑なことばっかり
私が直接知る限りでもクズいエピソードは数えきれない
真っ昼間に子供が公園で走ってるだけでうるさいだの静かにしろだの若いお母さんに説教
砂場にいた幼女を蹴っ飛ばす
わざわざ女子高生に近寄っていって邪魔って言ってぶつかる等々…

郵便受けに真っ赤な字で「タヒねタヒねしねry」って100個ぐらいタヒねって書かれた紙切れが入ってたことがある
父さんは温厚な人だし当時私もお姉ちゃんも小学生だったから心当たりは母親関連しかない

117: 名無しさん@おーぷん 2016/01/18(月)21:38:49 ID:irv
吐き出したくて来ました。
いい年をしたおばさんの愚痴や後悔混じりの話しになりますがお付き合いください。
弟が自タヒした話なので不快な方は読み飛ばしてください。

私はいわゆる毒親の元に生まれた。
両親は典型的な田舎の長男教で、長男以外はいる価値がない。
むしろ、家計のためにはいないほうがいいという考えの持ち主で、男ならまだしも女は猫といっしょでガキを作るしか能がないと常々言い続けていた。
そんな親は三つ下の弟を異様に溺愛したが私のことは徹底的にイビリ続けていた。

召使いのような扱いを受け、毎朝5時に起きて廊下の雑巾がけをしなければ箒や棒のようなもので打たれた。
食事すらロクに与えてもらえず、両親は自分たちが食べ残した物を私に投げてよこした。空腹に耐えきれず、投げつけられて落ちた物を拾って食べる私を「卑しい」と罵り、蹴られることも珍しくはなかった。

今でこそ開けてきてコンビニや大型スーパーもできたし電車が開通したことで拓けたけれど、私が子供の頃は何もなかった。もしあったら私は万引きしてでも食べたと思う。
子供だった私は飢えに耐えかねて近所の畑を荒し、土がついたままの大根や葉っぱを齧っては見つかって怒られた。
若い人にはピンとこないだろうけど、地元は男優先の男尊女卑が今も根付いている地域で、女だっていうだけで無意味に貶める風潮が少なからずあった。
全員が全員そうだったわけじゃないんだろうけど、閉鎖的な環境で暮らしていたその頃の私は、周囲に助けを求めてもムダだと学んでいた。

毒親に溺愛された子というと、毒に染まったどうしようもない人種だと思われがちだが弟は違った。
両親に食事すら与えてもらえない姉に、弟はよく自分のお菓子を分けてくれた。
見ているところで分けると「弟のものを盗り上げた」と余計にひどい暴力に晒されるので、親が寝静まったころにこっそりと食べずにとっておいたお菓子を持ってきてくれた。
幼いなりに自分の家がおかしいとわかっていたのか、ニヤニヤと笑いながら私をいたぶる両親に何度もやめるように言ってくれた。

でもその当時の私には、弟を可愛いとは思えなかった。
両親の愛情を唯一独占している弟が妬ましかった。はっきり言えば僻んでいた。
私は着古してボロボロの服を着て、暖房も扇風機もない三畳足らずの物置で寝起きしていたが、いつもきれいな服を着ていた弟にはエアコンのついた部屋が与えられていた。
男に生まれただけで何不自由なく恵まれた待遇にいる弟を、妬まずにいられるほど大人ではなかった。
弟のほうは「姉ちゃん、姉ちゃん」と言って懐いてきたがそれすら煩わしかった。
今にして思えば、弟は随分さみしい思いをしたんだと思う。
両親は弟を溺愛していたが押し付け的なところが多々あった。
弟が姉に懐く姿を見て、「弟に色目を使うようなアバズレ」と姉に暴力と暴言を浴びせる親だ。まともではない。
そんな親の愛情を受けたところで弟は辛いだけだったんじゃないかと。

62: 名無しさん@おーぷん 2015/07/28(火)17:27:28 ID:EGv
夫が絶縁した私の親に私の情報を売ってた
道理で引っ越してもアドレス変えても手紙やメールが届くはずだよ
売ったというか情報リークしてただけだけど
そのせいで不眠や吐き気が止まらなかった
夫はずっとそばについてて慰めてくれたけど
同じく絶縁してたはずの姉がポロっとメールで漏らして分かった
謝ってくれたけど夫が毒親と同じ人種じゃないかと思えて仕方がない
いま別居(夫が前の家に戻ってる)してるけど細切れでこんなメール↓が来る

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