母親

450: 名無しの心子知らず 2017/09/07(木)11:51:09 ID:sHo
長いけど失礼。

この間父の誕生日に靴を買ってあげた。
どうせ毎日履くようではなく、旅行用とか外出用のものなのでおしゃれなお高めのものを。
ちょっと金額は1万超えして奮発したけれども、本人も喜んでくれたので問題ないんだけど、その話を聞いた母がいちいちと口うるさい。

「お父さんにそんな高いものを買って!そんなの高いの必要ない!金の無駄!」

……ってな感じ。
プレゼントなんて当人同士が納得していれば、いくらだって良いじゃんって思うんだけど。
それが何十万とかなら文句を言うのも分かるが、社会人同士で別に1万くらいのやり取り良いでしょ……って思ってしまいます。
やっぱり互いに良い気分で終わってる所に水を差されるのが面白くなくて、私もついつい強めの言葉で言い返してしまいます……。
ちょっと「なんでそんなこと、一々お母さんに文句を言われないといけないの?」言い返せば、「そんなつもりで言ったんじゃなかった」「なんでそういう言い方するんだ」とヒートアップする。
結果として、どうしても自分が悪者になりたくないから「違う、お母さんはお前の財布事情を心配してー」とか「お前が可哀想だと思って……」言うけど、絶対違う。
基本的に父に良いことをするのが面白くないんだと思う。

プレゼントで差別したくないから、高めのプレゼントをしたって、「ありがとう」より先に悪態しか出ないような人だから、段々プレゼントする気がなくなって「今年も花で良いかー」ってなってしまう。
確かに金額で差が出てしまうのも悪いけど、差別したいわけじゃないんだよ。
でも喜んでくれない人よりも、プレゼントをあげると「俺はこんなに良い娘に恵まれて幸せだ」って言ってくれる父を優遇してしまう。
それが面白くなくて文句、こちらも良い気がしなくて、父を優遇……の負の連鎖。

そういうところが悪いから、対応に差が出るんだよって言っても「そんなこと言ってない!」の繰り返し。
少しは自分の立場に置き換えて物事を喋らないのだろうか……。
自分の親ながら神経が分からん。

166: 名無しさん@おーぷん 2015/12/14(月)17:07:42 ID:Tev
ずっと母のこと自尊心の高い人だと思ってた
「一人の男に愛された経験もない癖に」「結婚して子供を産んだ時点で私は勝ち馬に乗ってるから」
などドラマみたいなセリフを度々言ってた
本当は自尊心の低い人だったんだわ
自分を誇れないから「女である」っていう女であれば誰もが持っている点で男から評価されて喜ぶことでしか自尊心を保てない人
男の評価に拘る母は女の人をメチャクチャ嫌っていた
テレビに芸能人が映ると必ず「整形」「不倫」と悪口を言う
女の人が道を歩いてるとわざとぶつかろうとする&足を蹴っ飛ばす(男の人には会釈して笑顔で道譲ってたからわざとだと思う)
車椅子とか杖とか補聴器とか分かりやすい障碍者の女の人には聞こえるような声で「ビ○コ」みたいな差別用語を言ってた
特に用もないのに化粧品コーナーを歩いて「ブスのくせに化粧して気合入れて無意味www」
横を歩いてる私は小さい時から申し訳なさでいっぱいだった

女の人に対する母の憎悪の矛先は姉と私にも向いた
最初に顔面グーで殴られた時のは3歳の時だったかな
物心付いたのがそのぐらいだったから本当はもっと昔から殴られてたかも
殴る蹴る程度ならまだ耐えれたけど、熱したフライパンを顔に近付けられるとかベランダに連れて行かれて「悔しけりゃ飛び降りてみろよどうせタヒねない癖に」とかタヒの危機に晒されるのは流石に堪えた
今でも料理はIHじゃないと心臓が苦しくなる

私たちが大きくなって肉体的な支配が無理になると母は過干渉に走った
学校は毎日母が送り迎えして友達との登下校&放課後の遊びを禁止
友達との会話なんか見られた日には名前を言うまでご飯お預け
連絡網から電話されて、もううちの子供とは喋らせないで下さい的なことを言われた
宿題を捨てられて先生に説教された
基本的に学校以外で外に出られることは許されなかった
携帯は与えられたけどメール含めたSNSは全面禁止だったしたまに母のチェックが入るのであまり使わなかった
服も髪型も下着も母に指定された
「悔しけりゃ小遣いやバイトで買え」って言われたけど小中と小遣いなし&高校生になっても1000円とかそんな状態じゃ服や美容院の余裕なんてなく
案の定ヒョウ柄とか全身黄色とかダサい服しか買ってもらえなかった

994: 1/3 2016/05/26(木)18:47:28 ID:Rc2
吐き出そうにも、知人に直に吐き出すには重たすぎて、でもどこかに吐き捨てたいと思って。
質問スレに何処向きかと質問したら、ここ向きのようなので書いていく。
「あった」というよりも、「現在進行形」に近いけども。

そして長いって怒られたので分割する。

まず前提として、俺は一応ハーフなんだ。
一応なんて表現してるのは、生まれてこの方日本から出たことがない上に、見た目も考え方も日本人だから。
それで、俺がハーフってことは、親の片方が外国人なわけで、この、外国人の母親が色々起こした。

最初の事件が起きたのは、俺が小学生くらいの時。
元々母親は水商売の人間で、俺が生まれてからもその手の仕事をしていたんだ。
でも、俺が小学生の高学年になったくらいの頃から、だんだんと帰る時間が遅くなり始めた。
水商売だから元々帰宅時間は遅くて、日付が変わるくらいの時間だったんだが、それがほぼ早朝になり始めたんだ。
それが元で、父親と母親が喧嘩する日々が始まった。
子供の目の前でもお構いなしでの怒鳴り合いだったのを覚えてる。
それでも、近所に住んでいた祖母が仲裁に入って、一度は収まったんだ。
でも、収まってなかった。
元々母親は年に1回程度帰国していたんだが、大喧嘩をした次の年「今年は1ヶ月くらい帰っても、いい?」と言って、俺も父親もそれを了承したんだ。
その時の俺は「そういうこともあるよね」程度の気分で、父親は「太郎(俺仮名)が許すなら」と言って。
母親は1ヶ月経っても戻ってこなかった。
ただ、俺、その頃の母親が居ない間の記憶がかなり薄い。
叔母さんや当時からの友人は「あの時の太郎はおかしかった」って言うから、多分、子供心に相当なショックがあったんだと思う。
祖母もその時の心労から寝たきりになってしまったし。
しばらくして……多分、半年か1年かくらいだと思うんだけど、それくらい経ってから母親は帰ってきた。
「浮気して、子供ができて別れようと思ったけど、子供が流れたから太郎が恋しくなった」っていう最低の理由で。
(この理由は成人してから、父親が泥酔した時に半ば無理矢理聞き出した)
父親は、俺がまだ小学生で、母親は必要だろうって言う理由で、戻ってきた母親を受け入れた。
とはいえ夫婦関係は子供の俺から見ても破綻してた。
それでも、二人共、俺を理由にギリギリつながってた。
ここまでが第一の事件。

821: 名無しの心子知らず 2016/08/22(月)21:59:58 ID:V9G
豚切りすまん、吐きだし。

小2の時に母(以下糞)がパート先のアルバイトの男と駆け落ちした。
父の出張中、俺の登校中に荷物まとめて出て行ったんだが、そうと知らずに
糞が帰って来ないのを心配して、スーパーまでの暗い道のりを3往復して探したが見つからず
泣きながら夜道を歩いていて警察に保護された。

そして中3の時に学校帰りに待ち伏せされて、
父とよりを戻したいので一緒に頭を下げてほしいと
真昼間から寝言を言ってきた。
その時は糞に「寝言は寝て言え」とだけ返事して走って逃げた。
誰彼構わず他の生徒に「俺くんってどの子?」と聞いて回るぐらい
最初俺のことが分からなかったくせに。
おかげで学校で尾ひれのついた噂話が広まり、受験に集中できず第一志望を変えざるをえなかった。

30: 名無しの心子知らず 2016/05/27(金)16:32:46 ID:ddX
高校生の頃、父方の祖母と何ヶ月かだけ一緒に暮らしたことがあった。
祖母は伯父さんちで同居してたんだけど、家を建て替えるか何かでその間だけうちに来たんだ。
でもたった何ヶ月かの間だけでも母は同居を嫌がった。
母は祖母をすごく嫌ってたから。私や姉も嫌ってたけどw
だって同じ孫なのに伯父の所の息子には「跡取りさま跡取りさま」ってバカみたいに小遣いあげまくってて
私も姉も誕生日や入学祝卒業祝いどころかお年玉すら貰った事なかったもの。
そういう差別を母がすごく嫌がって、跡取りってことで差をつけるのは別にいいけど
わざわざ娘たちの目の前でやるってのが意地が悪い、気分が悪いっていつも怒ってた。
母のことも「女しか産めなかった嫁」って苛めてて、伯父の奥さんのことなんか
「ちゃんと長男の嫁として心得てる(=跡取りを産んだ)」って大事にしてた。
定員割れの高校しか入れないような分数計算も出来ない跡取り息子なのに。
父は「年に何度か顔を出すぐらいなんでもないだろ~」って能天気だったから
私も姉も母の味方で一緒になって反対してた。
だけど父は父で、いつも兄(伯父)に母親の面倒丸投げなのに
こんな時ぐらい俺がしっかりしなきゃってアホみたいに突然使命感に燃えて
それまでことなかれ主義だったくせに「俺の母親だ!文句は言わせん!」って。
おまけに「俺のオフクロを苛めたりしたら承知せんぞ!」とか言い出した。
後で聞けば、母はこの時点で離婚を考え始めていたそうだ。
で、とりあえず上記のように祖母がやってきた。


54: 名無しの心子知らず 2016/05/29(日)21:19:38 ID:wsO
小学生の時の事、母の不倫相手が同級生の父親で、母が出て行った
二つの家庭を壊して再婚した2人は引っ越さず、
郷里に帰った向こうの奥さんも同級生を連れて行かなかったから、
それから二年間その子とはクラスメイトを続行した
席替えはあってもクラス替えがない県の話

当然今まで通り仲良くできるはずもなく、私は気まずい止まりだったけど
その子からは完全無視されて次第に嫌がらせされるようになった
私の前で母を「おかあさん」と呼びながらこれ見よがしに甘えたり、
かと思えば2人きりの時「○○ちゃんのおかあさんのせいだ」って詰られたり
後は靴隠しとか仲間外れとか一通り小学生がやるような、
まあ今から思えば特別なんてことのないかわいげのある態度を取られた

自分は泣き寝入りするような可愛げのある性格をしてなかったから
いちいち反論したし、普段は何の接触もない母と事前に取り決められた
二カ月に一度の二人で過ごせる日には逆に独占した気分になって思いっきり甘えて
私が一番好き?って尋ねては望んでる答えをもらって陰でその子を馬鹿にしたし
向こうの欲しがってるものを知ったら先んじて買ってもらい、文房具とかだったから学校で自慢したりと
水面下の攻防を繰り広げるようになった
こうしてみると私の方が性格悪いね


624: 名無しさん@おーぷん 2016/12/30(金)09:27:14 ID:JS7
私の反抗期は15下の弟の誕生で収まった
母も私も気が強くて、いちいち反発しては言い合いになってたけど、
生まれた直後のある日、声をかけたら暗い瞳で見られた
その時だけは神がかりのように母の言いたいことが分かった

責められる、と思ったんだと思う

その日、朝食の用意ができなかった
妊娠した時点で、弱り始めた母に私はもう何も言わなくなってて、
声をかけた理由は別だったんだけど母はそうは取らなかったみたい
妊娠前に起きてたことがもう一度起こると懸念したんだろう

私が責めて、また言い合いになる
そういう想像を今の体調に重ねて絶望した目

9: 名無しさん@おーぷん 2016/09/22(木)14:29:23 ID:MMN
両親(母親)と絶縁する時までが修羅場。

私は両親+兄、私、妹の5人家族ですが、妹は母の姉の子で、母姉は妹が4歳の時に亡くなり、母姉はシンママだったのもあり、母が妹を自分の子として育てると言って、めでたく我が家の子になりました。
妹は母姉がいない事にショックが大きく、一時期失語症になり、場面緘黙などにもなりながら、治った今でも、少し吃音もありますが、学校でからかわれることなく過ごしていました。それも母が妹の為に勉強したからこそ、それらの症状を改善できたのだと思います。
妹のことがきっかけなのか、母が里親として施設の子供を育てたい。救ってあげたいと言い出しました。最初は家族みんな戸惑いましたが、母は一度決めると曲げない人なので折れて、子供を受け入れました。

長いので分けます。

270: 名無しさん@おーぷん 2016/11/05(土)21:11:09 ID:Z3p
私の父は家事育児は母親がやるもの!父親は金を稼いでさえいれば育児に参加したことになると思っている奴だった。
母はそんな父の意見に飲み込まれている超絶エネミーで、双子である私と兄の育児に追われ、
父と全く同じ考えである義父母(私の祖父母)に自宅凸されいびられ、身体を壊したりもした。
私と兄が8歳のとき、父が突然私と兄をどこかに養子に出すと言い出した。理由は私と兄が父に懐かないから。
育児に手を出さず、祖父母をけしかけていびりに参加してた父に懐くはずはないw
関わってこない分、叱られるとか厳しく当たられるとかなかったから、兄の方は父をなめきってたよ。

781: 名無しの心子知らず 2016/05/30(月)18:50:17 ID:zGD
母と間男の関係を崩壊させた話

登場人物(年齢は当時)

俺:11歳
妹:7歳
親父:31歳
母さん:29歳
S(母さんの浮気相手):3?歳(親父よりは上のはず)
Sの息子:12歳
Sの娘:10歳
Sの奥さん:??歳
父の祖父:57歳
父の祖母:57歳
M(俺の友人):11歳

俺が生まれた時、親父は20歳、母さんは18歳だった。
学生結婚、つまり『デキ婚』である。
親父は、『自分のした事には責任を取る』と言って、大学を中退しようとして仕事先まで決めていたが、祖父が『大学は卒業しろ』と大反対して、親父は大学を卒業して証券会社に入社した。
祖父は、自分の父が病気になった都合で高校を1年で中退して家業を継いだ過去を持っているので、当時の自分と照らし合わせたのだと思う。
母さんは、高校を中退して、しばらく俺を育てて、通信制の高校で高卒を取り直し、准看護婦の資格まで取った。

時は流れ、親父が名古屋から浜松に転勤になった時に妹が生まれる。
その後、親父が証券会社を退社し浜松から地元に戻る事になった。
その頃までは、どこにでもある普通の家庭だと俺は思っていた。

このページのトップヘ