母親

809: 名無しさん@おーぷん 2014/07/13(日)10:37:17 ID:Oe6SGeKUQ
8歳の時、学校から帰ったらいつもいるはずの母がいなかった。
買い物だと思ってその時は気にしてなかったけど5時になっても6時になっても帰ってこなくて
どっかで怪我したかお腹が痛くなってるのかと思って近所中を探したけどいなくて
玄関先でずっと待ってた。暗くなっても待ってた。
そのまま玄関先で寝てしまって目が覚めたら父がいた。
それから険しい顔になった父があちこち電話かけてバタバタした数日が過ぎたのだけは覚えている。
当時は訳も分からず父に言われるままに流されていたが、後に聞いた話によると
要するに母はほんの数十メートル先の家庭の旦那さんと駆け落ちしたらしい。
リビングの引き出しの中に置手紙があったらしく、そこに離婚届も同封されていたそうだ。
相手の家庭の奥さんとうちの父親、それに俺を含む子供たちは近所中の好奇の目で見られ双方引越しをした。
たぶん一学期の終わり頃の出来事で、夏休み中に引っ越し二学期から転校した。
大人の事情はよく分からなかったが、とにかく俺は母に捨てられた。
それだけが子供心にずっしりトラウマになりどんどん暗い子供になっていった。
幸い父はあまり泊りの出張などのない仕事だったので、それまでより早く帰ってくれるようになったが
少しでも遅くなると父にも捨てられるんじゃないかと思って玄関先でめそめそ泣いてるような子だった。
そして4年生になる直前に新しい母親ができた。
新しい母親は菊池桃子にそっくりの可愛い女性だった。
俺は新しい母親のことを「ももちゃん」と呼んだ。
いつもニコニコしてて俺のことをとても大事にしてくれた。
遠足の時には今で言うキャラ弁みたいなのを作ってくれて、世界がパーッと明るくなったような生活になった。
後で知ったが、ももちゃんは父の同僚だった。
一度結婚したが子供を産めなくて離婚したそうだ。
もともと子供が大好きで、だから父との再婚には子供がいることは何の障害にもならなかったらしい。
父が再婚した翌年の母の日に、思い切って「ももちゃん」を「お母さん」と呼んだら泣いて抱きしめてくれた。
その頃にはもう、俺を捨てた実母のことはすっかり忘れていた。
高校3年の時、父が通勤途中に心筋梗塞で急タヒ。
母とは血が繋がらない親子だが、その後もそれまで通り普通に母子として過ごした。
父も結構な遺産を残してくれたので、お金の苦労はたぶんなかったと思うが
趣味が高じて講師になっていた母は、最初の一年ぐらいは落ち込んでいたものの
元のように忙しそうに楽しそうに毎日駆け回っていた。

876: 名無しさん@おーぷん 2014/07/19(土)18:33:48 ID:ooGTaIBH4
三ヶ月ほど前から嫁のふりをして母(俺の実母、嫁にしたら姑)とメールをしている。
発端は母が嫁に対し陰でちくちくイヤミを言うという訴えを受けたため。
しかし俺の前ではいつものやさしい母なので、試しに嫁のメール代行業者となってみたわけ。

そしたらまーオカン、ねちねち~とイヤミを連打で繰りだしてくる。
夕飯のおかずを聞かれたのでメールで「豚しょうが焼きでした」と返すと
「そんな油っこいものばかり食べさせて。あの子は食が細いのに(嘘)お腹を壊してしまう」
なので次は「そうめん」と送ったら「そんな栄養のないもの。あの子が栄養失調で倒れたらあなたのせい」。
しかし俺の前ではあいかわらずニコニコ~で嫁にもやさしい母。

最初のうちこそ母がこんなクソババアだったのかと情けないやらムカつくやらだったんだが
だんだん面白くなってしまって、最近はマゾヒスティックに自分に酔いはじめている。
メシ食いながら嫁に「ねえ、今日もおかあさんにこんな嫌味言われちゃった」と報告すると
嫁が「なんだそんなこと。ハイハイって言っときゃいいんだよ。おまえが大人になれよ」
と諭してくれる。
俺は「嫁ちゃんたらヒドイ、もっと親身になってくれても…」とシクシクする。
そしてベッドの中では男女逆転…というか、元に戻る。燃えるww

このプレイにハマってしまって、嫁のふりメールがやめられん。
ほんとはもっと前にネタばらしして母をゴラァするつもりだったのだが
まあプレイに飽きてからでも遅くないからいっかw

624: 名無しさん@おーぷん 2016/12/30(金)09:27:14 ID:JS7
私の反抗期は15下の弟の誕生で収まった
母も私も気が強くて、いちいち反発しては言い合いになってたけど、
生まれた直後のある日、声をかけたら暗い瞳で見られた
その時だけは神がかりのように母の言いたいことが分かった

責められる、と思ったんだと思う

その日、朝食の用意ができなかった
妊娠した時点で、弱り始めた母に私はもう何も言わなくなってて、
声をかけた理由は別だったんだけど母はそうは取らなかったみたい
妊娠前に起きてたことがもう一度起こると懸念したんだろう

私が責めて、また言い合いになる
そういう想像を今の体調に重ねて絶望した目

36: 名無しさん@おーぷん 2017/09/28(木)00:40:13 ID:HRr
学校の先生は性格がおかしい人が多いと言われるが、自分の母を見ていると真実だと思う。

今は退職して何十年も経ったが、昔、母は小学校教師だった。母は私や兄に「教師は女の仕事としては最高の仕事だ」といつも言っていた。
その「最高の仕事をしている自分」にものすごいプライドを持っていた。ある時、その最高話にウンザリした兄が「女性のお医者さんや
弁護士や大学教授もいるよ」と言ったら、母は「それは例外でそんな人はあまり居ない、普通の仕事では最高なんだ」と怒鳴った。
兄が「普通は普通で、最高とは違う物だ」と言った瞬間、兄は母に殴られていた。目が吊り上がって顔が真っ赤な母に「お前もそう思うか?」と
聞かれた私は兄を裏切るわけもいかないけれど、殴られたくないのでどうしてよいか分からず即答できなかった。再度「お前はどう思うんだ!」と
怒鳴られ、パニックになった私は「普通は最高だと思う」と答えてしまい「馬鹿」と言われ、母に殴られそうになった。その瞬間、兄が「今の事を
赤の他人に言って聞かせてもいい?」「最高話を人に言いふらすよ」と言ってくれたので母に殴られずに済んだ。母は「お前たちは世の中の事を
分かっていない」などとブツブツ言いながら部屋を出て行った。家に父親は居たが、全くの空気だった。何を言っても相談しても「母さんの言う
通りにしなさい」「母さんを怒らせたら駄目だよ」と言うだけだった。

479: 名無しさん@おーぷん 2015/08/08(土)08:20:57 ID:iXy
うちの母は兄を超溺愛している。
兄が結婚した時、正直言って「息子を取った!って嫁いびりするんじゃないかなー」と心配だった。
でもそれは杞憂だった。母はびっくりするほど良い姑になった。
実の娘のように可愛がった。本当の実の娘である私のことは相変わらず空気だったがw
同居したがるとか、盆正月に無理に呼び出す事もなかった。

しかし3年ほどして兄が浮気した。
兄嫁がどうと言うんじゃなく、単純に新鮮味がなくなった、飽きたってことらしい。
浮気がバレた時、兄は堂々と
「他に好きな人ができたんだからしょうがない。経産婦の妻はもう女として見れない。
妻が許さないというなら仕方ないから離婚する。父さん母さん弁護士頼んで」
と実家に言いに来た。
父も私も兄も、いつものように母が「息子チャンはしょうがない子ね~ハイハイわかったわ」と言うと思った。
しかし母は泣いて怒り、兄をクイックルワイパーでどついて追い出した。

泣く母の背中をさすっていたら「娘ができたみたいで嬉しかったのに」と言われ、内心修羅場というか複雑。
いや、娘(私)は21年前から一応いますが…
母の脳内で、いったい私の存在はどういうことになってんだろうか。

546: 名無しさん@おーぷん 2015/11/11(水)10:31:17 ID:Zh4
母がここ一年でヒステリックを起こすようになった。
それまでは優しくて温厚、いつもニコニコしていて家庭を明るくしてくれる人だった。
私と兄はすでに結婚して実家を出ており、母の変化にヘルプを出してきたのは父。支えきれない、離婚したいと何度も言っている。
兄はさっさと離婚すれば?と言っているけど、私は父の離婚して母を見捨てる思考に憤りを感じている。
私達兄弟が子供の頃、父が会社をクビになり、母がダブルワークをして家庭を支えた。父を正社員で採ってくれるところが見つからず、バイトをしながら就活。
私はこの時点で、何故父がダブルワークをしないのかと思ったけど、ダブルワークをしてたら正社員になる就活をする時間がなくなるからだと無理矢理納得。
母は家事子育てに+してダブルワークをこなし、父の就職をサポート、正社員が決まりようやく解決。
私達兄弟が成人して少したった頃、父が骨折した。まだ実家にいた私と母が父をサポート。どうしてもできない部分だけ、手を貸したり、うまく歩けず落ち込む父に母は頑張って豪華な料理を振舞ったり
足が治ったら夫婦で〇〇に旅行に行きましょうと計画を練ったりしていた。ちなみにこの頃は母の仕事が軌道に乗り、生活にかなり余裕があったから出来た事だった。


450: 名無しの心子知らず 2017/09/07(木)11:51:09 ID:sHo
長いけど失礼。

この間父の誕生日に靴を買ってあげた。
どうせ毎日履くようではなく、旅行用とか外出用のものなのでおしゃれなお高めのものを。
ちょっと金額は1万超えして奮発したけれども、本人も喜んでくれたので問題ないんだけど、その話を聞いた母がいちいちと口うるさい。

「お父さんにそんな高いものを買って!そんなの高いの必要ない!金の無駄!」

……ってな感じ。
プレゼントなんて当人同士が納得していれば、いくらだって良いじゃんって思うんだけど。
それが何十万とかなら文句を言うのも分かるが、社会人同士で別に1万くらいのやり取り良いでしょ……って思ってしまいます。
やっぱり互いに良い気分で終わってる所に水を差されるのが面白くなくて、私もついつい強めの言葉で言い返してしまいます……。
ちょっと「なんでそんなこと、一々お母さんに文句を言われないといけないの?」言い返せば、「そんなつもりで言ったんじゃなかった」「なんでそういう言い方するんだ」とヒートアップする。
結果として、どうしても自分が悪者になりたくないから「違う、お母さんはお前の財布事情を心配してー」とか「お前が可哀想だと思って……」言うけど、絶対違う。
基本的に父に良いことをするのが面白くないんだと思う。

プレゼントで差別したくないから、高めのプレゼントをしたって、「ありがとう」より先に悪態しか出ないような人だから、段々プレゼントする気がなくなって「今年も花で良いかー」ってなってしまう。
確かに金額で差が出てしまうのも悪いけど、差別したいわけじゃないんだよ。
でも喜んでくれない人よりも、プレゼントをあげると「俺はこんなに良い娘に恵まれて幸せだ」って言ってくれる父を優遇してしまう。
それが面白くなくて文句、こちらも良い気がしなくて、父を優遇……の負の連鎖。

そういうところが悪いから、対応に差が出るんだよって言っても「そんなこと言ってない!」の繰り返し。
少しは自分の立場に置き換えて物事を喋らないのだろうか……。
自分の親ながら神経が分からん。

166: 名無しさん@おーぷん 2015/12/14(月)17:07:42 ID:Tev
ずっと母のこと自尊心の高い人だと思ってた
「一人の男に愛された経験もない癖に」「結婚して子供を産んだ時点で私は勝ち馬に乗ってるから」
などドラマみたいなセリフを度々言ってた
本当は自尊心の低い人だったんだわ
自分を誇れないから「女である」っていう女であれば誰もが持っている点で男から評価されて喜ぶことでしか自尊心を保てない人
男の評価に拘る母は女の人をメチャクチャ嫌っていた
テレビに芸能人が映ると必ず「整形」「不倫」と悪口を言う
女の人が道を歩いてるとわざとぶつかろうとする&足を蹴っ飛ばす(男の人には会釈して笑顔で道譲ってたからわざとだと思う)
車椅子とか杖とか補聴器とか分かりやすい障碍者の女の人には聞こえるような声で「ビ○コ」みたいな差別用語を言ってた
特に用もないのに化粧品コーナーを歩いて「ブスのくせに化粧して気合入れて無意味www」
横を歩いてる私は小さい時から申し訳なさでいっぱいだった

女の人に対する母の憎悪の矛先は姉と私にも向いた
最初に顔面グーで殴られた時のは3歳の時だったかな
物心付いたのがそのぐらいだったから本当はもっと昔から殴られてたかも
殴る蹴る程度ならまだ耐えれたけど、熱したフライパンを顔に近付けられるとかベランダに連れて行かれて「悔しけりゃ飛び降りてみろよどうせタヒねない癖に」とかタヒの危機に晒されるのは流石に堪えた
今でも料理はIHじゃないと心臓が苦しくなる

私たちが大きくなって肉体的な支配が無理になると母は過干渉に走った
学校は毎日母が送り迎えして友達との登下校&放課後の遊びを禁止
友達との会話なんか見られた日には名前を言うまでご飯お預け
連絡網から電話されて、もううちの子供とは喋らせないで下さい的なことを言われた
宿題を捨てられて先生に説教された
基本的に学校以外で外に出られることは許されなかった
携帯は与えられたけどメール含めたSNSは全面禁止だったしたまに母のチェックが入るのであまり使わなかった
服も髪型も下着も母に指定された
「悔しけりゃ小遣いやバイトで買え」って言われたけど小中と小遣いなし&高校生になっても1000円とかそんな状態じゃ服や美容院の余裕なんてなく
案の定ヒョウ柄とか全身黄色とかダサい服しか買ってもらえなかった

994: 1/3 2016/05/26(木)18:47:28 ID:Rc2
吐き出そうにも、知人に直に吐き出すには重たすぎて、でもどこかに吐き捨てたいと思って。
質問スレに何処向きかと質問したら、ここ向きのようなので書いていく。
「あった」というよりも、「現在進行形」に近いけども。

そして長いって怒られたので分割する。

まず前提として、俺は一応ハーフなんだ。
一応なんて表現してるのは、生まれてこの方日本から出たことがない上に、見た目も考え方も日本人だから。
それで、俺がハーフってことは、親の片方が外国人なわけで、この、外国人の母親が色々起こした。

最初の事件が起きたのは、俺が小学生くらいの時。
元々母親は水商売の人間で、俺が生まれてからもその手の仕事をしていたんだ。
でも、俺が小学生の高学年になったくらいの頃から、だんだんと帰る時間が遅くなり始めた。
水商売だから元々帰宅時間は遅くて、日付が変わるくらいの時間だったんだが、それがほぼ早朝になり始めたんだ。
それが元で、父親と母親が喧嘩する日々が始まった。
子供の目の前でもお構いなしでの怒鳴り合いだったのを覚えてる。
それでも、近所に住んでいた祖母が仲裁に入って、一度は収まったんだ。
でも、収まってなかった。
元々母親は年に1回程度帰国していたんだが、大喧嘩をした次の年「今年は1ヶ月くらい帰っても、いい?」と言って、俺も父親もそれを了承したんだ。
その時の俺は「そういうこともあるよね」程度の気分で、父親は「太郎(俺仮名)が許すなら」と言って。
母親は1ヶ月経っても戻ってこなかった。
ただ、俺、その頃の母親が居ない間の記憶がかなり薄い。
叔母さんや当時からの友人は「あの時の太郎はおかしかった」って言うから、多分、子供心に相当なショックがあったんだと思う。
祖母もその時の心労から寝たきりになってしまったし。
しばらくして……多分、半年か1年かくらいだと思うんだけど、それくらい経ってから母親は帰ってきた。
「浮気して、子供ができて別れようと思ったけど、子供が流れたから太郎が恋しくなった」っていう最低の理由で。
(この理由は成人してから、父親が泥酔した時に半ば無理矢理聞き出した)
父親は、俺がまだ小学生で、母親は必要だろうって言う理由で、戻ってきた母親を受け入れた。
とはいえ夫婦関係は子供の俺から見ても破綻してた。
それでも、二人共、俺を理由にギリギリつながってた。
ここまでが第一の事件。

821: 名無しの心子知らず 2016/08/22(月)21:59:58 ID:V9G
豚切りすまん、吐きだし。

小2の時に母(以下糞)がパート先のアルバイトの男と駆け落ちした。
父の出張中、俺の登校中に荷物まとめて出て行ったんだが、そうと知らずに
糞が帰って来ないのを心配して、スーパーまでの暗い道のりを3往復して探したが見つからず
泣きながら夜道を歩いていて警察に保護された。

そして中3の時に学校帰りに待ち伏せされて、
父とよりを戻したいので一緒に頭を下げてほしいと
真昼間から寝言を言ってきた。
その時は糞に「寝言は寝て言え」とだけ返事して走って逃げた。
誰彼構わず他の生徒に「俺くんってどの子?」と聞いて回るぐらい
最初俺のことが分からなかったくせに。
おかげで学校で尾ひれのついた噂話が広まり、受験に集中できず第一志望を変えざるをえなかった。

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