母親

631: 名無しさん@おーぷん 2017/10/19(木)20:17:11 ID:wMh
うちは両親離婚してて、母親のみ。経済状況が良くなかったので、毎月7万仕送りをしていた。

30: 名無しの心子知らず 2016/05/27(金)16:32:46 ID:ddX
高校生の頃、父方の祖母と何ヶ月かだけ一緒に暮らしたことがあった。
祖母は伯父さんちで同居してたんだけど、家を建て替えるか何かでその間だけうちに来たんだ。
でもたった何ヶ月かの間だけでも母は同居を嫌がった。

176: おさかなくわえた名無しさん 2018/02/28(水) 17:42:16.59 ID:7OAaUUcM
ウチの母親の神経わからん話

小1の時に母親がムクドリかなにかの雛を拾ってきた
数日間は母親が甲斐甲斐しく世話してたんだが、ある時からその全ての世話を私1人に押し付けてきた

36: 名無しさん@おーぷん 2017/09/28(木)00:40:13 ID:HRr
学校の先生は性格がおかしい人が多いと言われるが、自分の母を見ていると真実だと思う。

今は退職して何十年も経ったが、昔、母は小学校教師だった。母は私や兄に「教師は女の仕事としては最高の仕事だ」といつも言っていた。

450: 名無しの心子知らず 2017/09/07(木)11:51:09 ID:sHo
長いけど失礼。

この間父の誕生日に靴を買ってあげた。
どうせ毎日履くようではなく、旅行用とか外出用のものなのでおしゃれなお高めのものを。
ちょっと金額は1万超えして奮発したけれども、本人も喜んでくれたので問題ないんだけど、その話を聞いた母がいちいちと口うるさい。

821: 名無しの心子知らず 2016/08/22(月)21:59:58 ID:V9G
豚切りすまん、吐きだし。

小2の時に母(以下糞)がパート先のアルバイトの男と駆け落ちした。
父の出張中、俺の登校中に荷物まとめて出て行ったんだが、そうと知らずに
糞が帰って来ないのを心配して、スーパーまでの暗い道のりを3往復して探したが見つからず
泣きながら夜道を歩いていて警察に保護された。

876: 名無しさん@おーぷん 2014/07/19(土)18:33:48 ID:ooGTaIBH4
三ヶ月ほど前から嫁のふりをして母(俺の実母、嫁にしたら姑)とメールをしている。
発端は母が嫁に対し陰でちくちくイヤミを言うという訴えを受けたため。
しかし俺の前ではいつものやさしい母なので、試しに嫁のメール代行業者となってみたわけ。

248: 名無しさん@おーぷん 2017/10/19(木)14:15:38 ID:1U3
私は母親に「お母さん」と呼ぶなと言われ育った。
幼稚園の卒園式後に、「もう"お母さん"やらないからお母さんと呼ぶな」と言われたのを、三十路になった今も覚えてる。
姉達もそう言われていたそうで、私が卒園した日から我が家から「お母さん」という声は消えた。母を○(名前)ちゃんと呼ぶように言われた。
とっさにお母さんと呼んでしまうと「もう"お母さん"辞めたんだから!」と不機嫌になるので、怖くて割とすぐに呼び慣れた。
ただ、外でもそうなので、他の保護者や友達の前とかではかなり恥ずかしかった。
PTAや行事なんかの保護者としての仕事はしていた。家では放置に近かったけど。
甘えた時に「こっち来ないで・くっつかないで」と突き放されたり、「好きで産んだんじゃない、(父)に土下座で頼まれたから仕方なく産んでやったんだ」みたいな事を普通の会話で言われるようになった。
「あんたは拾い子」系の冗談も何度も泣くまで言われた。
父の暴力からも守ってもくれないし、学用品購入もウンザリな口調で文句をいわれ「金食い虫」呼ばわりだった。
食事も手抜きに。親達が刺身盛り合わせ・肉・おつまみで、子供はエノキの出汁煮だけとか。
姉が既婚者と不倫をした時、中絶した時、バカみたいに応援して協力していたのを見た時は、本当に親を辞めてたんだな~と思った。
保護者ではあったけど、親子という関係を嫌っていた。

809: 名無しさん@おーぷん 2014/07/13(日)10:37:17 ID:Oe6SGeKUQ
8歳の時、学校から帰ったらいつもいるはずの母がいなかった。
買い物だと思ってその時は気にしてなかったけど5時になっても6時になっても帰ってこなくて
どっかで怪我したかお腹が痛くなってるのかと思って近所中を探したけどいなくて
玄関先でずっと待ってた。暗くなっても待ってた。
そのまま玄関先で寝てしまって目が覚めたら父がいた。
それから険しい顔になった父があちこち電話かけてバタバタした数日が過ぎたのだけは覚えている。
当時は訳も分からず父に言われるままに流されていたが、後に聞いた話によると
要するに母はほんの数十メートル先の家庭の旦那さんと駆け落ちしたらしい。
リビングの引き出しの中に置手紙があったらしく、そこに離婚届も同封されていたそうだ。
相手の家庭の奥さんとうちの父親、それに俺を含む子供たちは近所中の好奇の目で見られ双方引越しをした。
たぶん一学期の終わり頃の出来事で、夏休み中に引っ越し二学期から転校した。
大人の事情はよく分からなかったが、とにかく俺は母に捨てられた。
それだけが子供心にずっしりトラウマになりどんどん暗い子供になっていった。
幸い父はあまり泊りの出張などのない仕事だったので、それまでより早く帰ってくれるようになったが
少しでも遅くなると父にも捨てられるんじゃないかと思って玄関先でめそめそ泣いてるような子だった。
そして4年生になる直前に新しい母親ができた。
新しい母親は菊池桃子にそっくりの可愛い女性だった。
俺は新しい母親のことを「ももちゃん」と呼んだ。
いつもニコニコしてて俺のことをとても大事にしてくれた。
遠足の時には今で言うキャラ弁みたいなのを作ってくれて、世界がパーッと明るくなったような生活になった。
後で知ったが、ももちゃんは父の同僚だった。
一度結婚したが子供を産めなくて離婚したそうだ。
もともと子供が大好きで、だから父との再婚には子供がいることは何の障害にもならなかったらしい。
父が再婚した翌年の母の日に、思い切って「ももちゃん」を「お母さん」と呼んだら泣いて抱きしめてくれた。
その頃にはもう、俺を捨てた実母のことはすっかり忘れていた。
高校3年の時、父が通勤途中に心筋梗塞で急タヒ。
母とは血が繋がらない親子だが、その後もそれまで通り普通に母子として過ごした。
父も結構な遺産を残してくれたので、お金の苦労はたぶんなかったと思うが
趣味が高じて講師になっていた母は、最初の一年ぐらいは落ち込んでいたものの
元のように忙しそうに楽しそうに毎日駆け回っていた。

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