家族

434: 名無しさん@おーぷん 2015/09/19(土)12:56:20 ID:QkY
やっと決着ついたので投下させてください。
フェイクがかかってますので、
多少のズレはご了承頂ければと...

長くなるので何回かに分けます。
宜しくお願いします。

478: 名無しの心子知らず 2015/07/12(日)11:05:55 ID:X1I
金曜の夜、中3の娘宛に代引きで荷物が届いた。
通販は許可していない&買いたい時は申告する決まりなのに、何を買ったのか報告がないのでどうしようと夫婦で相談。
とりあえず1日は待ってみようという結論になり、その翌日の夕食時。

娘「・・・お父さん、今日誕生日じゃん」
夫「覚えててくれたんだ」
娘「ケーキあるし・・・」
夫「まあそうだなw」
娘「・・・これ」←代引きで届いたダンボール箱をそのまま出してきた
夫「おお!ありがとうなー!開けていい?」

箱から出てきたのは、

202: 名無しさん@おーぷん 2015/10/02(金)21:34:32 ID:eeG
普通だった兄がある日突然クソ人間になったのが修羅場

私と兄は三つ違い
兄が大学を出て就職した年、両親が私達兄妹をリビングに集合させた
妙にあらたまった感じで父が話したのは、兄の出自について
なんと兄は両親の実子ではなく結婚してしばらく子供が授からなかったので、施設から迎えた子だった
(特別養子なんちゃら、みたいなの)
ところが何かの加減か、兄が三歳になった頃に実子の私が誕生したと
ずっと秘密にしてきたけど、兄が就職、私は成人になったタイミングで話すと決めていたらしい
流石にちょっとショックだった
両親の育て方はまったく平等で、兄も私も実の兄妹だと疑いもしてなかったから
けどその後兄ともふたりで話して
「今まで通りだよな」「そうだね」とサラッと終わった

……はずだったんだけど、
その日を境に兄がおかしくなっていった
兄は就職してからも実家住みで、その代わり家にお金を入れていたんだけどそれを『搾取』だと言い出した

290: 名無しさん@おーぷん 2014/09/22(月)15:15:19 ID:7pm44RAMe
私は年子の実妹が大嫌い。
子供の頃から親の姉妹に対する差別が凄まじかった。
もう「お姉ちゃんなんだから譲ってあげなさい」のレベルがそんじょそこらの家庭とは違う。
記憶ある中で一番最初のやつは、幼稚園の運動会で一番をとって貰ったメダルを「お姉ちゃんなんだから」と没収され、妹に渡された。妹は妹でメダル貰ってるのに。
祖母が送ってくれた誕生日プレゼントを「お姉ちゃんなんだから」と妹行き。
席書コンクールで金賞を取り、市内の小さな冊子に乗ったら、「実は妹が代筆した。」と周りに広める。
友人と応募したアイドルのチケットを「失恋中の妹ちゃんに譲れ」と取られかけ、びりびりに破れた。

そんなんだから妹は調子に乗り、少しごねれば姉の物は私の物☆と思うようになった。親は親でどんなに心情を訴えても、世の中の妹や弟は優先されるべきという考えを曲げなかった。

915: おさかなくわえた名無しさん 2017/03/25(土) 15:36:45.47 ID:1vt8MRgl
俺の修羅場書いてもいい?
じゃ書く
長いので小分け

今となれば笑えるけど、当時はみんなそれぞれ悩んだ家族の修羅場

産みの母は、俺を生んでタヒんだ。
心臓周りの血管に元々持病があったらしい。だから、俺は産みの母を知らない。
産みの母がタヒんで、俺を育てるのに必タヒだった親父をすぐに助けたのが、二つ下で父の幼なじみだった養母(以後母と)
ちょうど、母にも子供(姉貴)がいて、丁度いいからと面倒を見てくれた。そっちの父とは離婚したそうだ。理由は知らん。教えてくれない。
そこで色々あって、俺が3つの時に再婚、四人家族になった。まあ、父方の祖父母曰く、収まるところに収まったんじゃろ、とのこと。(別に産みの母を嫌っている訳では無い。むしろ褒めていた。)
ところが、小4の時に、親父がタヒんだ。
心臓だった。めちゃくちゃ朝早いはずの親父が朝起きて来なくて、そのまま冷たくなってた。
俺も、姉貴も、タヒぬほど泣いた。

両親の祖父母の手助けで生きていたが、中学2年の時に、母が再婚した。同じように嫁さんを病気で無くした、近くの大きな鉄工所のオーナーだった。親父と、そんなに年変わんないんだ。
そこにも、弟と妹がいた。というか、姉貴→妹繋がりで知り合って、再婚、となった。

ここでまず、俺の脳内修羅場発生。
「血が繋がった人がいなくなった。」

この修羅場が表に出たのが、俺の大学受験のとき。
父の意向で高校、大学、院までぶっ続けで行ける技術系の学園にいたんだけど、ある日父に
「お前、大学どうする?受験?エスカレーター?」
って言われて
「受験はしません。エスカレーターもしません。就職して、家を出ます。これ以上、迷惑はかけられません。俺は、あなた方と血が繋がってないんです」
って返した。返してしまった。
自分でも、やっちまったな、とは思ったわ。でも、しょうがないじゃん。技術系の大学の学費、私立たけーんだって。年間、基本で150行くんだぞ。追加で色々発生するし。で、弟妹もいるしな。
無論、タヒんだ父母の保険金や、既に亡くなってる父方祖母の保険金やらで俺ひとりでも賄えない事は無い。盛大にお釣りが来る。でも、多分、親父はそれを使うことを許さない、そういう人だ。分かってたから、そう言った。家を出ますってね。ぶった斬るならここしかない、って。

714: 1/3 2011/11/01(火) 15:56:14.15 ID:HNw8u0HZ
兄と結婚した人(以下義姉)が盗癖アリの人だった。
働いてるしけっこう高給取りだし
兄もそこそこの会社にいるからお金には困ってないはずなんだが気がつくと何かを握ってる。
もちろん私のものも色々パクられた。
当時学生だったんで高価な持ち物はなかったから被害額は少ないんだけど
友達からもらった誕生日プレゼントや小物やリボンや趣味で集めてたガラス細工のあらかたがなくなった。

両親と兄に訴えたが兄は「おまえの勘違い」ととりあわず
両親は「おまえはそそっかしいからなくしたんだろ」「義姉ちゃんができる子だから嫉妬してるのか」と
こちらもとりあってくれず、しまいには私の狂言だってことにされた。

110: 名無しの心子知らず 2016/03/14(月)18:31:57 ID:bGD
うちの両親は私が小学生の時離婚した。
離婚したがったのは父で、理由は浮気相手と再婚したかったから。
でも結局浮気相手に寸前で逃げられたとかで、その人とは再婚しなかった。
私には当時高校生の兄がいて、兄は父のもとに残った。
「父が独りになるとかわいそうだから」と言って残った、お兄ちゃんは優しい子だから、と母は言っていた。
歳が離れていたので、私は離婚前から兄とは親しくなく、
親が離婚して離れてからは憧れのようなものをずっと兄に持っていた。

20数年が経ち、母が病タヒした。
母は再婚しなかったが、父は別の女性と再婚したと祖母から聞いていた。
でも一応知らせるだけ知らせておこうと、祖母経由で父と兄に伝えてもらった。
同じく祖母経由でお悔やみの言葉が来ただけで、父も兄も葬儀には来なかった。
もう他人だから仕方ないか、と特に悪感情は持たなかった。

葬儀から三ヶ月くらいして、突然兄から連絡があった。
ファミレスで待ち合わせした兄は、当然ながら40代になっていて面影はあまりなかった。
兄は葬儀に来なかった理由として、以下の話をした。

562: 名無しさん@おーぷん 2017/02/19(日)20:00:04 ID:asr
母親から逃げるために、弟と妹を生け贄にしたこと。

うちは両親がちょっと特殊な仕事をしていて、私は「どちらかの跡取り」になることを義務づけられていた。
物心つく前から「将来は◎◎か、△△になるのよ」と言われて育ち、そのための英才教育を徹底的に仕込まれた。
読書以外の娯楽は一切禁止で、友達と遊ぶ事も許されなかった。
幼稚園から帰るのが嫌で「家に帰りたくない、ずっと幼稚園にいたい」とダダをこねたことを、今でもよく覚えている。

小学校1年生のときクラスメイトが、
「妹が生まれてから、両親が妹にかかりっきになった。妹のことばかりで、自分はほったらかしにされている」と言うのを聞いた。
「弟か妹が生まれれば、両親は私をほったらかしにするかも」とひらめいた私は、帰宅してさっそく両親に「弟か妹がほしい」とねだった。
両親としても、跡取りは2人(「父方の職業を継ぐ子」と「母方の職業を継ぐ子」)必要なので、いずれは…と思っていたらしい。
私は両家の祖父母&従兄弟にも働きかけ、「やっぱり一人っ子は…」「兄弟はいたほうが…」と誘導してもらった。
そして私が小学校3年生のときに弟が、小学校6年生のときに妹が生まれた。

263: おさかなくわえた名無しさん 2017/11/19(日) 09:01:43.99 ID:yoTyko6F
親父が某自動車会社に勤めていたコネで、その付近の女子高に裏口入学させることが出来るなんて法螺吹いてて
それを中学生の妹が真に受けて学習障害の子を連れてきたのが修羅場
向こうは親子で菓子折持ってきて「お願いします助かります」って頭下げてるの
親父引っ込みがつかなくなってあーうー言うだけ
挙げ句の果てに受験ギリギリになって妹が勝手に嘘ついたことにして逃げやがった

843: 名無しの心子知らず 2015/08/06(木)12:56:25 ID:IW0
30年前当時毎年恒例だった親戚一同の旅行。
企画・予約は毎年持ち回りでその年は祖父母の持ち回りだった。
大体いつも飛行機か新幹線で関西・中部方面に2泊3日、帰ってきたらみんなで墓参りして家でどんちゃん騒ぎする実質3泊4日。
当時8歳だった私は前日から熱を出して母とともに残留、父と妹が旅行に行った。この年は京都だってことは知ってて、毎年東京スゲー原スゲー江川スゲーみたいな感じだったので
祖父母・叔父が後楽園でデーゲームを観戦して残りの人たちは後楽園遊園地であそんで夕方あるいは夜に移動ってのが毎年恒例でその時間になるだろうなってのも予想できてたけど月曜だから野球はなかったらしい。
そんなこんなで「もう飛行機乗ったかな?」「新幹線じゃないの」みたいな話をした。
その後でおかゆを作ってもらって食べてた頃にニュースで羽田-大阪の日航ジャンボがレーダーから消えたってニュースが流れて「大丈夫・・・だよね?」「きっと新幹線よ・・・」みたいな話をしていた覚えがある。
でも新幹線なら車内の公衆電話から電話するわ~って言って旅行した父から電話がかかってこなくてさすがに心配になって紛らわそうとしてトップテンを見ても日航のニュースばかりで全然紛れなかった。

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