壮絶

22: 名無しさん@おーぷん 2014/07/24(木)15:55:02 ID:OAbMNITBX
みなさんの体験を読んでいると、かすむような話ですが私の体験を書かせてください。
何分初めて、フェイク有りなので、つたない所はご容赦を。

691: 名無しさん@おーぷん 2014/10/19(日)11:58:39 ID:3DmFJK9mJ
姉の元旦那がクズの頂点に立つ男だと思っている。
私と姉の両親は共に他界している。私は結婚していて旦那実家で同居。
姉が結婚して姉は旦那と2人で2人の夢だった沖縄に移り住んだ。
姉の元旦那はとても好印象な人でした。姉に尽くし、優しく、姉が幸せになれてよかったと心から思った。
姉だって尽くされてたけど完全に寄りかかってたわけでは無いし、元旦那の為ならと家事仕事を頑張ってた。

ある日から突然姉と連絡が取れなくなった。姉の家には家電が無いため連絡ツールは携帯だけ。

589: 名無しさん@おーぷん 2015/11/13(金)08:06:19 ID:oMI
中学の時異母兄たちに犯された。
長いうえに胸糞も胸糞なので閲覧注意。

私は父の後妻の娘。
前妻のところに二人子供がいることは知っていたけれど会ったことはなく、父がリストラされた後はローンや養育費を払うのが大変で母がフルタイムで働いて家計を支えていた。
離婚の理由は知らなかった。

私が中1になった時、家に見知らぬ男がいて「今日からいっしょに暮らすことになった」と父に言われたのが前妻の次男。(以下兄②)当時高1。
母が再婚を考えていたものの、どうしても相手と折り合いが悪くて前妻から引き取ってくれと打診があったそう。

569: おさかなくわえた名無しさん 2017/01/14(土) 07:51:02.77 ID:w6HiL0pc
修羅場なのかな
凄く後悔した話

小中高と同じ学校で、中高では同じ部活に入り、すごく仲の良かったA子
大学で私が地元から離れた後も、私が地元に帰る度に遊んでたんだけど、
A子が結婚してからはなかなか時間が合わず、年に1回会うか会わないか、という状況に
そんなA子が、結婚数年目にして女の子を出産
これはぜひ赤ちゃんの顔を見なければと地元に戻り、A子の家を訪ねた
久々に会うA子はやせており、顔色も悪かった
育児でなかなか眠れない、一人の時間が無くて疲れてる、とA子
どうやら旦那は仕事が忙しく、同居の義両親もあまり育児に手を貸してくれるタイプではなく、初めての育児にかなり疲れてしまっているみたいだった
私は仕事がら赤ちゃんの扱いは慣れていたので、良かれと思い、
「よかったら数時間で良いなら面倒見てるから寝てきたら?」と提案
A子は最初遠慮してきたが、そのうち「だったら、髪を切りに行きたい」と言った
最近は育児に追われて美容院どころか、化粧すらしてない、化粧品もなくなってしまった、と
美容院に電話したら空いていたので、私はA子に自分の化粧品でメイクしてあげて、赤ちゃんを預り、A子を見送った
そしてそのまま、A子は帰らなかった
美容院で髪を切り、その帰りに近所の橋から飛び降りた

968: おさかなくわえた名無しさん 2017/01/30(月) 13:42:47.96 ID:On7YJGuV
下書きしてから投稿するが長文になってしまった。2chに書き込むのは初めてだが書いてみる。

身バレするとマズいので5割は俺の創作、ということにしておく。創作なので辻褄が合わない所もたくさんあるがスルーして欲しい。

当時俺は幼稚園生ぐらいの年齢で今で言う所謂ネグレクトというやつだった。両親共にパチンカスで、俺と妹(当時まだ乳飲み子)は両親がパチンコをしている間は家か車かパチンコ店かで適当に過ごしていた。
幸い暴力の虐待などはなく、本当に子どもに興味がない、という感じだったんだと思う。
両親に遊んでもらった記憶はなく、おもちゃなども家に全くなかったので、広告の裏に鉛筆でひたすら絵を書いて遊んでいた。
生きていく最低限のことはやってもらっていて、お風呂も時々だけど入れたし、食べ物も両親の気が向いた時や、近所からの頂き物?のお菓子か何かがあるときはそれごとくれることもあった。
パチンコで勝ったときは両親の機嫌も良くて、本当に時々だけどファミレスに連れて行ってもらったこともある。(これが子どもながらに一番嬉しかったw)
妹はまだ産まれたばかりでミルクももらっていたけど、両親がいない時は俺がミルクをあげたりもしていた。
初めは泣いていてもどうするべきか分からずそのままにしていたが、母親と同じようにすれば泣き止むのかなと考えて、台所にあるミルクの缶で見よう見まねでミルクを作ってあげた。
今思うと量って入れたわけではなかったので分量とかめちゃくちゃで飲ませて良かったのかわからないけど、当時は妹もゴクゴク飲んでたので安心した記憶がある。
あとオムツも替えてあげたがウンチの時はどうしたらいいか分からず放置していた。(帰ってきてから母親が替えていた)
そんなある日、俺と妹は両親に連れられてパチンコ店に行き、2人がパチンコをしている間俺は買ったオニギリを持たされ入り口のベンチ?みたいなところで食べながら待っていた。(妹は母親におんぶ紐で背負われていた)

781: 名無しさん@おーぷん 2014/10/25(土)20:24:30 ID:EhG8vul9q
母親に放置され衰弱していく弟を病院に連れていったときが修羅場だった

当時私は5歳、弟は2歳だった。
私の父の顔は知らないが、弟の父の顔は覚えてる。弟が生まれてすぐいなくなった。この時点で母は×2
母は3日に一度帰ってくるだけ。帰ってきた日に大量に米炊いて皿に盛ってまた出かけていく。
私は5歳だったけど幼稚園や保育園に行ってなかった。
入園式には出た記憶はあるような無いような。すごくあやふやになってしまっている。
私は大量に炊かれた米を食べ飢えをしのぎ、弟にもそれを与えてた。わたしがスプーンですくって口の中に入れる感じ。
弟は上手に咀嚼できなくてむせたりしてた。

162: 名無しさん@おーぷん 2014/12/29(月)12:13:04 ID:MEk
毎年年末になると旦那が中学時代からの親友ABの2人と飲みに行っていた。
3人の住まいがバラバラなので市の中心地の駅近辺の店で飲んで
いつも夜遅くまで飲んでて、Aの奥さんが車で迎えにきて
同じ方向のBも乗せて帰っていたそうだ。
うちの旦那だけ駅から2人と逆方向なのでタクシーで帰っていた。
ある時A妻が運転していた車がカーブを曲がり切れずに電柱に正面衝突。
3人とも亡くなった。

380: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)08:16:43 ID:61I
幼稚園から帰ってきたら両親が仲良く首吊ってた時がスレタイだな。
ドラマとかで首吊ってる遺体とかよくあるけど本物ってあんな綺麗じゃないんだよ。
顔は腫れてる(浮腫んでる??)しうんこやしっこで床はグチャグチャ。
もう20何年も前の出来事だけど今でも匂いまで覚えてる。
タヒんでるとかはイマイチわかってなかったように思うけど、なんか怖いしうんことかが凄いから隣の友達ん家に行って友達のお母さんに「お父さん達がうんこして飛んでる。」って言いに行ったら家に来てくれて警察呼んでくれた。
その後は警察や救急車が来てバタバタ。
その時点では俺自身にダメージはなかったんだけど、両親にもう会えないと理解してからは夜泣きや謎行動をし出した為に3年くらいカウンセリングに通ったりした。
(深夜に外に出ようとしたり親を探して何故か冷蔵庫に入ろうとしたり)

俺をどっちが引き取るか(父も母も一人っ子で俺も一人っ子だったから唯一の孫)で父方母方の祖父母で激しい奪い合いを見せ付けられたのも地味に修羅場だった。

91: 名無しの心子知らず 2014/11/01(土)15:51:17 ID:P8Ap3vX0s
報道されたのでフェイクが盛り沢山ですがお許しください
私が二十代の頃に実の妹に旦那を寝取られたことがある
もちろん慰謝料を双方からぶんどって離婚
昔から妹を可愛がって私をsageまくった両親は妹の味方だったよ
私は両親妹と縁を切って遠方へ逃亡
その地で別の男性と再婚して子供が産まれた
子供が中学生になったぐらいに、再婚相手が救急車に運ばれたと連絡があった
再婚相手は何者かに刺され重傷とのこと
私は発狂しながら病院にかけつけ、再婚相手の無事を祈った

再婚相手は一命を取り留め、私とファザコン気味の子供は安心して泣きまくり
再婚相手の回復後はもちろん警察が入り事情聴取だ
再婚相手は「小柄な女に刺された」と証言
これだけではなんとも・・・な感じな刑事さんたちだったが、必ず捕まえると約束してくださいました

226: ◆8B8X/67LrWes 2014/06/20(金)22:15:08 ID:3rxPDZKWG
自分の人生が結構な修羅場。
長いです。

幼児期の私は所謂放置子だった。
三歳で近所の公園に一人で遊びに行ってた記憶がある。
小学生になり、一時友達は出来たが段々と虐められるようになる。
小さい頃には虐められる原因が解らなかった。
大人になって幼少期の自分を振り返ると、距離感が掴めてないKY児童だったと判明した。
虐めに暴力は無かったが地味に精神を削られ続け、立派なコミュ障に成り下がる。
そんなもんで仕事もルーティンワークな仕事にしか着けず、中卒で就職し底辺な暮らしをしていた。
成人した翌月、母親から保険証持って着いてこいと凄まれる。
借金の申し込みと解った私は「毎月給料の半額家に入れてるのに何でそんなお金ないん?いくら親子でもお金の事に関しては譲れない。」と頑なに断る。
結果「親が困ってる時に助けない子供は要らん」と家から追い出される。
半月は仕事を通じて巡り会った数少ない友達のお宅にお世話になりながら住み込みの仕事を探す。
地域を選ばず何処でも飛べる派遣社員になった。
居住が西日本から東日本に移った。
居候させてくれた友達には暫く働いてお金を貯めたのちに改めてお礼と言う名目で回ってないお寿司屋さんでご馳走をした。

派遣になってからは無我夢中に働いた。
コミュ障があるので自分を表現するのは下手だったが、幸いな事に仕事仲間には恵まれていた。
そこで知り合った同僚から、趣味のゲームに誘われた。
所謂オンラインゲームと言う奴。
あまりゲームに触れた事がなかった私でも、同僚のリードがあり溶け込んでいけた。
自分を反映させたそのキャラクターには支援系の職業をやらせてスキル回しやらを必タヒに覚えた。
ゲームの世界で、誰かから必要とされる気持ちを貰ってPC前で一人で泣く事もあった。
そんな世界で知り合った人達と飲み会をする機会があった。
自分が参加して良いのか解らなかったから黙っていたけど「貴女も参加するよね?ってかおいでよ!」と言われて嬉しくて参加表明した。
そこで色んな年代の人達とワイワイ楽しく飲みながら、少しずつ自分らしさを見つけて行った。

ある日、その世界の一人の男性から告白をされた。
飲み会であった時から気になっていたと言われた。
告白されるのも始めてで返事に困っていると「急がなくていいよ。」と言われ、暫く返事を保留にしていた。

少しずつ距離を狭めていって、正式にお付き合い開始。

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