キチ

737: 名無しさん@おーぷん 2016/02/18(木)12:06:37 ID:JAs
元姑の訃報を知り、葬儀に出席してきた。
元姑は私にとっては良姑だったから。
数年ぶりに元夫を見た。夫は親族席でずっと泣き通しだった。喪主の挨拶も途中で泣き崩れてしまって出来なかった。
母親大好きのままだったんだな、これからもそうだろうなと思った。

元夫は母親のことが大好きだったけど、片思いで、
元姑は仕事に生きた人だった。会社勤めではなく自営の社長をしていた。
元夫は結婚すると人が変わったように「母さんを見習え!」と言うようになった。
そのたび元姑は「私が母として妻として誉められたもんじゃないのは子供のあんたが一番知ってるでしょ。
私の何を見習えって言うの。それに(私)さんは私の若い頃そっくりだよ」
と呆れて諌めてくれた。
元夫が「これは母の味じゃない!」と私の料理に怒るたび
「私の味はこれよ」と丸美屋の釜飯の素をドンとテーブルに置いてくれたり
「文句があるなら私の味を一番知ってるあんたが作るべきでしょ」
「あんたの言うことは一々理屈に合わないね」
と〆てくれた。
でも元夫は逆ギレするだけだった。

409: 名無しさん@おーぷん 2016/02/03(水)22:17:42 ID:apq
ずっとずっと昔の話
妊娠が発覚してからすぐ夫が事故に合って亡くなった
実感がわかないままバタバタと過ごし葬儀やらなんやらが終わってからはお腹の痛みもあって引きこもりながら過ごしてた
そんなある日中学の頃の同級生から遊びの誘いの電話が
元々仲が良かったわけでもないし、妊娠していて調子が悪いからと断った数日後チャイムが鳴った。
モニターフォンなんかついていなかったのでドアを開けると子供が飛び込んできた
私が尻餅をついていることなんかお構いなしに家へ入っていく元同級生とその子供達
帰れと言っても聞かずヒーローごっこをおねだりする子供と台所を漁る元同級生
どうしたら帰ってもらえるか悩んでいたら、遊ぼう遊ぼううるさかった子供たちに足を引っ張られ尻餅をついたところお腹へ飛び乗られた

461: 名無しの心子知らず 2017/05/20(土)17:56:10 ID:QpC
私当時19歳アパレル店員 彼当時22歳ケータイショップ店員
私は原宿で働いてて結構派手なファッション大好きだった。
彼もオシャレは好きみたいだったけどセンスあまり良いとは言えず、
どこかズレてるのでいつも共通知人にはよく彼の服装はバカにされてる所をよく見てた。
でも私はあまり気にしていなかったし、自分も当時の原宿って感じの男性受けはしないであろう、
派手派手な目立つ格好を許容してくれてるからそれだけで充分だった。

でもそんなある日、私の職場の先輩が退職する際に彼を見てみたいから原宿に遊びにくるとき連れてきてよー!
と言われ、彼も紹介されるのが満更でもなかったようで私が早番出勤で彼が休みの日に店まで来てくれた。
彼氏を人に紹介するのは初めてだったのでワクワクしていたら、一緒に店番していた退職予定の先輩が、
「店の前になんか変な男がウロついててキモい」と言って来た。
なになに?と思って外に出たら、
消化器みたいに鮮やかな真っ赤なワイシャツと同じ色の真っ赤なパンツ、真っ赤な靴、真っ赤な女性物のハンドバッグを持ってる彼が…。
赤い色が好きなのは知ってたしそれぞれのパーツを見たことは今まであったんだけど、
何故全て合わせて来た…?
しかも首回りだけ私のプレゼントしたヴィヴィアンの緑色のマフラーをつけてた。
そして何故か田舎から出て来て場違い感に焦ったのか?彼は中々店に入ってこれず入り口でソワソワしていた所を見つかった状態だった。

すみません続きます。

950: 名無しさん@おーぷん 2015/12/02(水)23:57:37 ID:PV6
メガネがないと何も見えない私を、メガネなしでドライブ中の車から放り出してくれた婚約者を棄ててきた。

解決したので投下。
身バレしない程度にフェイクをいれるのでご容赦を。

私は極度のド乱視とド近眼で視力が低い。
メガネをしても車の運転は無理。
そのうえドライアイがひどいため、コンタクトを常用するのは無理。

二年付き合った彼のポロポーズを受け、寿退社する予定だった。
相手は同じ会社の同期。

ここまでが前提。

両家の挨拶や挙式の日程も決まり、独身生活もあとわずかというときのことだった。

翌日も休みということもあって、デート帰りに彼と車でドライブを楽しんでいた。

前述のとおりコンタクトを常用するのは無理な私だけれど、一生に一度のお式の日くらいはメガネではなくコンタクトにしようと彼と車のなかで話していた。
前々から彼は私がメガネをかけているのが不満で、「外していたほうが美人なのに」と言っていたので自分のオトメゴコロもあったけれど単純に彼に喜んでもらいたかった。

そこでなぜか彼は「一日コンタクトにできるのならずっとコンタクトでいろよ」と言い出した。

過去に何度か挑戦して、ダメだったことは言ってあったので口論に発展。

最初は私も無理だよ~って感じで軽いノリだったが「メガネのお前、ぶっさいくでマジ引くんだよ」と言われたことでヒートアップ。
そのうち彼は車を停車させて、「見えない見えないって大げさだ。そう言えば運転してもらえると思って調子にのんな!」と私の顔からメガネをむしり取ると、助手席に回り込んで私を車から放り出した。

464: 名無しさん@おーぷん 2014/05/31(土)02:14:38 ID:ypOvpatHH
ちょっと長いです。修羅場まっただ中。

前提。
私の姉は生まれつき手に障害がある。
訓練すれば日常生活に支障はないけど、見た目ではっきり判るような障害。
私はその姉を不憫に思った両親が、姉の将来の為に作った子供。
幼い頃から、パパママが居なくなってからは
私ちゃんがお姉ちゃんの面倒を見るんだよって言い聞かされて育った。

でも、障害以外の面で、姉は何もかも私より優れてた。
姉は美人で(仲間由紀恵似)明るくて頭も良い。
私は地味顔でネガティブで成績は平凡。
私は、小学生の頃から、こんなに可愛くてなんでも出来るお姉ちゃんの面倒を
どうして私なんかが見る必要があるのかなって疑問だった。
とはいえ、姉本人は私に優しかったし姉妹仲も悪くなかった。

姉が26才、私が24才の頃の話。
私は地味なりに平凡なりに、大学を出て就職して
職場の先輩の紹介で出会った男性(A)と付き合って
1年経ったあたりで結婚しましょうかって話になった。

Aを両親に紹介した時もプチ修羅場で、両親はAの前ではニコニコしてたけど
私が結婚してしまったら姉の将来はどうなるんだって反対された。
でも、姉本人が大丈夫だって言ったんだ。
姉も結婚を視野に入れて付き合っている男性が居るからって。
その人は収入が安定していて穏やかで優しい良い人だって。
そういう人が居るならって、両親もそれからは私の結婚に反対しなくなった。
その時は心底姉に感謝したよ。

54: 名無しさん@おーぷん 2017/09/01(金)13:55:52 ID:xl1
元彼が食いつくし系の人だった。大皿で料理を出すと、ものすごい勢いで食べる。
唐揚げでもしょうが焼きでも、私は一切れ二切れしか食べられない。
付き合ううちに早食いになった。

居酒屋に行った時、トイレから戻ったらテーブルの上のお皿が全部からっぽだった。
でもまだ、ささみチーズ巻きが来るはず、と思っていたら、
「あなたがトイレに行ってる間に来たよ。全部食べたけどね」
と嬉しそうに言う。楽しみにしていた料理だったのでさすがに頭に来て怒ったら、
「基本的に、料理は全部、俺のものだと思っているから」
と冗談めかして言われた。冗談を装っていたけど、本気だったと思う。
意地汚いことはどんなにみっともないことか、時間を掛けて説明した。

567: ◆I4pSJrI6Ho 2017/06/24(土) 05:42:08.43 0
10年付き合って別れた彼氏がいた
原因は「もっと若い子からアプローチが来てる」という向こうの心変わり
その後、2年して私が会社の後輩と結婚
式をしなかったけど共通の友人から聞きつけた元彼からロミオLINE来た
スマホの画面に収まりきらない長文だった


元気ですか?お久しぶり
今も〇〇の仕事してるのかな?
どこかで会うかなと思ったけど、会わないままですね
その間に君が結婚したと聞きました
2歳も下のガキで満足してるの?
君の向上心は僕が認めるくらいだから、
そんな結果になったと知って残念です

先日、男と電話で話をしました
あんな軟弱な男は君にあわないよ
君を守れるのは僕以外いなかったのに
どうして僕が戻るまで待てなかったの?
男には結婚前に辿らなければならない旅路がある
そして君は港
僕という船は港からの光を喪い、今、途方にくれています

若い女は所詮身体だけ
バカでなんでも言う事を聞く
でも君は違ったね?
僕の悪いところを認めてくれる君のことを
いつか、迎えに行こうと思います

改行ひっかかりそうなので一旦切ります

555: 名無しの心子知らず 2015/07/09(木)10:24:24 ID:k57
現時点での最大の修羅場。
詳しく書くと恐ろしい事になるので、なるべく簡単にまとめる。


小学校一年の時、虐めにあった。
小一の子どもがやるとは思えないような、まるで今の中高生の子達がやるみたいな酷い内容の虐めだった。
詳細は省くが、性的なもの以外は粗方受けていた。多分、高学年まで一緒にいたらそれもされていたと思う。
毎日が地獄だった。
しかもタイミングとは残酷なもので、私が小学生になったと同時に父方祖母が同居する事になった。
両親や年の離れた姉の帰りが遅く、鍵っ子になる私のシッター役を買ってでたそうだが、この婆さんに虐待を受けていた私にとっては恐怖しかなかった。
婆さんのせいで両親ですら信用できなかった当時、誰にも自分の現状を吐露できず、内外に敵しかいないと絶望した私が最後に選んだ道は、自タヒだった。
手首を切ったり飛び降りたりを何回か試みた。
結局最後の一歩を踏み出す勇気がなく全て諦めたのだけれど、死ぬことしか考えていなかったあの当時が一番の修羅場。
今思い返せば、小一で何度も自タヒ未遂繰り返したり、虐めを苦に自タヒした子の話をニュースを見て「なんて勇気のある子なんだろう」と羨ましく思っていたあの頃の自分は、正気じゃなかったんだろうなぁ。

ちなみに、その後虐めは3年後に転校で、祖母とは8年後に同居解消となりました。
そこまでの流れが、修羅場の大筋。

456: 名無しの心子知らず 2015/06/21(日)22:07:54 ID:0IE
離婚した両親が水面下で継続してて、
離婚の原因である父のDVは、両者納得積みのプレイだったって知った瞬間
二人は私の独立後に再婚した

生まれてからずっと父が手をあげる姿をみていたけど
母が私のことがあるからと言って離婚したがらなかったから、幼少時は何もできなかった
家は代々開業医で裕福
またなぜか父の暴力の対象は母に限定され私は普通に可愛がられていた
母が虐げられる中での父の厚遇は剃刀の刃を飲むように痛いものだったけど
幸福だと思わなきゃ単なる母の枷のようでそれこそどうしようもない
でもそれも16の時、酒の瓶を持った父から母を庇って流血沙汰になり
母は渋ったが私の度重なる説得と、
父の子供にまで傷を負わせてしまった負い目でようやく離婚になった

もう私はバイトもできる年だから、なんとでもしてやる
母を幸せにしよう、離婚してよかったと思ってもらおうと躍起になった

だけど就職して一年後、予定外にアパートに戻るといないはずの父がいた
とっさに警察に通報しようとした私を止めたのは、
床に転がっていた被害者だと信じていた母の、
これまでどれだけ殴られても出さなかった金切り声だった

加害者をかばうこと自体信じられないのに、さらに母は信じられないようなことを口走り始めた

「私はお父さんを愛してるし、お父さんも私を愛してくれている。
まだ恋人もいないあなたにはわからないんでしょうけど、いろんな夫婦の愛の形があるのよ」

262: 名無しさん@おーぷん 2016/10/02(日)09:54:36 ID:RWG
結婚式直前に破談にしたことがある。
彼は兼業農家の次男坊で、実家の広い敷地の片隅に新居を建ててくれることになっていた。
母屋には長男夫婦が同居していて、母屋と新居は10mぐらい離れている。
詳しいことはよく知らないけど、その村ではそういうのが普通なんだって。
で、結婚式の一週間前、嫁入り道具搬入の為に新居に向かったら
なんか新居にカーテンかかってるし、玄関先には鉢植えが並んでるし、
あれ?と思って玄関入ったら普通に人が住んでるふう。
ビックリして彼の名前を呼びながら母屋に走ったら彼の眼が泳いでて問い詰めたら
父親が出て来て「荷物はこっちに入れてくれ」って言うんだ。
「事後承諾で悪い悪い。向こうの家には長男夫婦を住まわすことにした」って。

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