毒親

227: 名無しさん@おーぷん 2015/02/12(木)23:12:10 ID:yW4
書き捨てる。

姉妹2人、親には虐待されて育った。何を決めるにも
「自分で判断すると失敗する、母親の言う通りにしないと失敗する」
という呪いをかけられた。
従わないとき、失敗をしたときは暴力制裁だった。
竹定規、椅子、蝿叩き等を掴み、それが壊れるまで私を叩いた。
避けたり悲鳴をあげたりすると余計ひどくなるので
じっとして声を殺して時間が過ぎるのを待った。
朝でも夜でも無関係で、母親の機嫌が悪い時は
眠っていても叩き起こされて理由をつけて殴られた。
父親はずっと空気だった。

私は次第に母親の傾向と対策を学び
出来る限り母親の気に入る服装、髪型、態度、表情、言動、成績を
キープするようにした。
「洗脳完了」「ごますり」と言えばその通りなんだけれど
何より私は殴られない生活が欲しかった。夜に安心して眠りたかった。
すると少しずつ母親の私への暴力が減り、会話が通じるようになった。
やっと家で安心して過ごせる、と嬉しかった。

しかし2歳離れた姉は違った。
母親が筋の通らない理由で怒鳴り散らしている時は必ず反論した。
そして余計に母親を怒らせ、もっとひどく殴られていた。
妹と違って自分の思い通りにならない姉に、母は常に苛ついていた。
姉は折檻されながら、泣きながらでも
自分が正しいと思うことを主張していた。

正直、当時の私はそんな姉にイライラすることもあった。
私にとって重要なのは「母親が怒るか怒らないか」だった。
なぜ姉がそんなに些細なことにこだわるのか、
勝ち目のない争いを続けようとするのか理解できなかった。
母の機嫌が悪くなると私まで殴られるから
お願いだから母の機嫌を損ねないでくれ、と姉に訴えたこともあったが
姉は変わらず母を怒らせる態度を取り続けた。

それでも私なりに母の機嫌を損ねない表現で姉のフォローをしたり
姉を許してくれるよう母に頼んだりもした。
お互いの失敗が母にばれない様に隠し合ったり、
母が不在の時は姉と愚痴を言い合ったりして、
私にとっては姉は戦友みたいな感覚だった。

決して姉を殴る母に加勢などしたことはなかった。
母を刺激しないように母の側に立ちながらも
母の興味を別のもので引いたり注意をそらしたりして
なるべく姉を守れるように立ち回っていた。
そういうつもりだった。自分の中では。

574: 1/2 2017/10/16(月)10:39:07 ID:TZz
うちの母親と祖母の神経がわからん。
うちは、3人姉弟。私真ん中。母親いわくずっと男の子がほしくて頑張ってたらしく、5個下に待望の男の子。
待望の男の子だけあって、両親も祖母も小さい頃からまあ、弟を可愛がる可愛がる。
軽く例をあげると
・幼少期私や姉が勝手に家にあるお菓子を食べたら「泥棒」ってビンタして怒ってたのに弟にたいしては「お腹減ってたんだもんねぇ~自分で取れて偉いねぇ~(猫なで声)」
・私や姉は、中学校に入ってからのお弁当前日のごはんの残り物なんかを自分で詰めて行って、帰ってきたら自分で洗ってた。
弟は全部朝早くから母親が手作りして詰めて鞄にいれてあげて、帰ってきたら鞄から祖母が鞄からお弁当箱出して洗ってあげてた。
・学校の時間割も親か祖母が全部準備してあげていた。時間割をメモしていないときには、親が同級生の家に電話をして必要なものを聞いて準備してあげていた。
etc.etc.他にもやるべきことは全部親が代わりにやってあげて、嫌なことはしなくていい。
悪いことしてもたーちゃん(弟の両親と祖母からの呼び名)は悪くない!でめちゃくちゃモンペになってた(特にモンペ度合いが酷かったのが父)
勉強しないでテストで赤点とっても、「頑張ったたーちゃんにこんな点数つけるなんて!」って学校にクレームの電話とか入れる恥ずかしいバカ親になってた。
続きます

36: 名無しさん@おーぷん 2017/09/28(木)00:40:13 ID:HRr
学校の先生は性格がおかしい人が多いと言われるが、自分の母を見ていると真実だと思う。

今は退職して何十年も経ったが、昔、母は小学校教師だった。母は私や兄に「教師は女の仕事としては最高の仕事だ」といつも言っていた。
その「最高の仕事をしている自分」にものすごいプライドを持っていた。ある時、その最高話にウンザリした兄が「女性のお医者さんや
弁護士や大学教授もいるよ」と言ったら、母は「それは例外でそんな人はあまり居ない、普通の仕事では最高なんだ」と怒鳴った。
兄が「普通は普通で、最高とは違う物だ」と言った瞬間、兄は母に殴られていた。目が吊り上がって顔が真っ赤な母に「お前もそう思うか?」と
聞かれた私は兄を裏切るわけもいかないけれど、殴られたくないのでどうしてよいか分からず即答できなかった。再度「お前はどう思うんだ!」と
怒鳴られ、パニックになった私は「普通は最高だと思う」と答えてしまい「馬鹿」と言われ、母に殴られそうになった。その瞬間、兄が「今の事を
赤の他人に言って聞かせてもいい?」「最高話を人に言いふらすよ」と言ってくれたので母に殴られずに済んだ。母は「お前たちは世の中の事を
分かっていない」などとブツブツ言いながら部屋を出て行った。家に父親は居たが、全くの空気だった。何を言っても相談しても「母さんの言う
通りにしなさい」「母さんを怒らせたら駄目だよ」と言うだけだった。

4: 名無しさん@おーぷん 2015/09/01(火)20:38:22 ID:GC8
父親に育て方間違えた!これだから子供を産まない女はダメだと罵られた。
母が病院になってから、15年おさんどんしてやったのに。
その間に母の自宅療養もしてたのに。
家に毎月10万以上入れてたのに。
父親が病気になってからは病院に運び入院の手続き他も私だったのに。


弟も家を建てる時に500万も貸してたのにくだらないいちゃもん付けられるし

そんな状態で祖母には 家族支え合って、長男盛り立てていきましょう、かわいい弟じゃないとか言われるし。

実家、弟もまとめて年収400も行かないけど
私は1000オーバー
だから私が譲り、広い心で見守るそうだ。

今はマンション買って全部捨ててきた。
快適。犬が家族で幸せです。

403: 名無しさん@おーぷん 2017/07/15(土)21:04:35 ID:ZHA
私が小学三年の時に起こったテレビの大家族ものが原因の修羅場。
母親と祖母が大家族ものが大好きで、特番でそれが放送されると夢中になって観ていた。
私が「つまらない。ドラえもんとか観たい。」とか言うと「ワガママ言うな!」と二人から叩かれてた。
あと、「そんなに文句があるなら、他のテレビがある洋間に行け!」と一人で陰気臭い、冷暖房もない洋間に行ってご飯を食べたこともあった。
ある日、大家族ものが放送されて例の如く夢中になる母親と祖母。
私はどうしてもバラエティが見たかったが、またあの洋間で一人寂しくご飯を食べるのだと思うと嫌だった。
その時、私が思いついたのがテレビのチャンネルを無断で変えることだった。本当に馬鹿なことをしたと思ってる。

798: 名無しさん@おーぷん 2017/08/31(木)02:51:36 ID:w4V
父親の信仰していた宗教が医学は悪!薬は毒!の考えなので、生まれてから一度も予防接種を受けたことがない
母親が何度言っても承諾書にサインしなかったので受けられないと小1のころ、ハンコ注射があるときに教えられた
その後母が病タヒ
そのまま医者にかかれない生活が続き、中学生の頃におたふく風邪にかかり
病院に連れて行って貰えないので一週間40度を超える熱が出て、父親にはその間放置されたので片耳が聞こえなくなった
そのときに内蔵がイカれたのかその後何を食べても吐くようになり、解熱した翌日無理やり学校に放り込まれ、そこで学校の給食を食べて猛烈に吐いたので救急車を呼ばれ
ひどい食物アレルギーを起こしていることと片耳の聴力が無くなってることと栄養失調であることと、他何か内臓がおかしいから(病名忘れた)三ヶ月入院しろといわれた

父親が無理やり連れ帰ろうとしてすんごい問題になって、警察も来てた
しんどくて意識朦朧で気づいたら母方の祖父母が私を引き取ってた
三ヶ月の入院後、退院したものの、体の抵抗力が弱りすぎてて、またすぐ入院して、二ヶ月くらい病院にいた
よくわからないままとりあえず勉強はしてたので、高校大学は進学できた

599: 名無しさん@おーぷん 2017/11/20(月)13:49:12 ID:18e
高校1年生のときに、父の仕事の都合で両親そろって海外に行くことになった
専業主婦の母は行かなくてもいいんじゃ?と思ったけど、あっちでパーティなんかに出るときに
奥さんがいないとだめとか、よくわからない理由だった(今なら、父の職業ならありえるとわかる)
私も連れて行ってもらえるのかなと思ったら、治安がよくないし日本人が入れるような学校がないって理由で却下
それなら私は日本で一人暮らしだねと言ったら「女の子の一人暮らしなんてよくない!親戚宅に行け!」
しかし父母ともに両親が他界して実家がなく、親戚付き合いなんてほとんどないのに
どこの親戚のところだ?と思ったら、聞いたことのない名字が出てきた
だけど、たとえばうちが九州だとすると、その人が住んでいるというのは関東くらい離れてる
転校するのはいやだなーと言ったら、「転校じゃない。高校は辞めなさい。」とばっさり
さらに話を聞いてみると、その親戚というのは30代後半で社会的エリート()な仕事についてるけど
独身で一人暮らしをしているということで、私はその人の家で家政婦をしながら両親の帰国を
待つことになるらしい
女の子の一人暮らしはだめなのに、独居の男宅に預けるのはいいのか?!と猛抗議したが
「いい人だから。」とか言われて、翌週にはその人のところに挨拶&お試しで単身お泊りさせられた
親戚男性は言い方は悪いが「頭はいいけど女の人と関わったことなさそう。」という印象の人だった
夕食後には「(私)ちゃんに申し訳ないから。」と駅前のビジホに連れて行かれて1人で置いていかれた
翌朝にはビジホまで迎えに来てくれて、帰りの新幹線まで観光させてくれた
そこで「(私)ちゃんは本当にわかってるの?こんなおじさんの奥さんになれるの?」と聞かれて
両親が私を男性の嫁として送り込んだことを知った

その男性は父方の遠縁で、1年前に共通の知人の結婚式で私両親と男性が再会し(私は招待されてないので行ってない)
「まだ独身なんだね、でもそんなに立派な仕事してたら奥さん必要でしょ?うちに行き送れ確定の娘がいるから
どうだろう?」という会話をしたらしい
男性のほうは冗談だと思いつつ社交辞令的に流したところ、その翌年にいきなり私両親から
娘を送るからチェックしてやってと連絡を受けて、断ったけど週末に突然無断で来てしまったので
何も知らないと思しき子供を即送り返すのも忍びなくて、夕食&観光でもてなしてくれたらしい
でもきちんと話をして事情を説明しなきゃ、もし事情を知ってるなら説得しなきゃと
私に色々話を聞かせてくれたということだった
大人になってから気づいたけど、男性の勤務先は父から見て親会社のようなもので
父はそこにコネが欲しかったんだと思う
私は顔もよくない上に偏差値もよくない高校で進学もしない予定だったから、若いうちに有望な男に押し付けちゃえ!
ということだったんだろう

結局私両親と親戚男性が話し合い、私は男性のツテであるNPO法人に預けられ、そちらの地方の高校に転校した
そのことがきっかけで両親と私の間に亀裂が入り、転校から後は一度も会ってないし連絡もしてない
親戚男性とは年賀状を送る程度のやりとりを付き合いをしてたけど、昨日久しぶりに電話が来て
同性の恋人と養子縁組したから海外で結婚式をするという話を聞いた
びっくりした

149: 名無しさん@おーぷん 2014/05/19(月)21:00:34 ID:pSSrAWHAX
私の両親は絶対に褒めてくれない人だった。
幼稚園のときに初めて逆上がりができたとき、「将来に役立つ事でもないのに褒めるようなことか?」と言われた。
運動会で1等を取れば、「周りが遅かっただけ」と突き放された。

小学生になれば、周りの家庭が羨ましくなっていた。友達はテストの点数が90点でも褒められるんだもの。
私は100点を取っても「100点なんて取って当たり前、褒めるようなことではない」と褒めてもらえず。
小学校時代はなんとか親の気を惹きたくて様々な分野で頑張りまくった。
席書コンクールで金賞を撮り、作文が市の小さな冊子に載り、マラソン大会では上位五位以内に入賞。
これら全て褒めてもらっていない。「褒めれば調子に乗るし」と言うだけ。

私が小二のときに妹が産まれた。
この妹、私とは相反してベタベタ甘々に育てられた。
両親の絵を描いただけで褒められ、逆上がりができて褒美を与えられるほど褒められていた。
妹はおせじにも出来が良いとは言えず、二桁の足し算も苦労していたのに納得できなった。

248: 名無しさん@おーぷん 2017/10/19(木)14:15:38 ID:1U3
私は母親に「お母さん」と呼ぶなと言われ育った。
幼稚園の卒園式後に、「もう"お母さん"やらないからお母さんと呼ぶな」と言われたのを、三十路になった今も覚えてる。
姉達もそう言われていたそうで、私が卒園した日から我が家から「お母さん」という声は消えた。母を○(名前)ちゃんと呼ぶように言われた。
とっさにお母さんと呼んでしまうと「もう"お母さん"辞めたんだから!」と不機嫌になるので、怖くて割とすぐに呼び慣れた。
ただ、外でもそうなので、他の保護者や友達の前とかではかなり恥ずかしかった。
PTAや行事なんかの保護者としての仕事はしていた。家では放置に近かったけど。
甘えた時に「こっち来ないで・くっつかないで」と突き放されたり、「好きで産んだんじゃない、(父)に土下座で頼まれたから仕方なく産んでやったんだ」みたいな事を普通の会話で言われるようになった。
「あんたは拾い子」系の冗談も何度も泣くまで言われた。
父の暴力からも守ってもくれないし、学用品購入もウンザリな口調で文句をいわれ「金食い虫」呼ばわりだった。
食事も手抜きに。親達が刺身盛り合わせ・肉・おつまみで、子供はエノキの出汁煮だけとか。
姉が既婚者と不倫をした時、中絶した時、バカみたいに応援して協力していたのを見た時は、本当に親を辞めてたんだな~と思った。
保護者ではあったけど、親子という関係を嫌っていた。

136: 名無しの心子知らず 2015/05/27(水)11:53:37 ID:Iuj
母が入院中で、家に自分(当時中1)しかいない時
納屋で父に首吊りされた時が修羅場。

父はサイマーな上、「妻子を苦しめるのが趣味」といつも言ってた変な人だったから
(だから私一人しか家にいないタイミングで吊ったのもわざと)
タヒんだのは悲しくなかったが、とにかく後始末が大変だった。
タヒ体が運ばれていったあと、納屋は中身全部入れ替えなきゃいけなかったし
近所の人や警察の対応もしなくちゃならなかったし
病院にも学校にも行かなきゃいけないのにーってパニックだった。
学校でもしばらくヒソヒソされたし。

父は私たちあての遺書をいちおー残してて
「借金も何もかも放り捨てて押し付けてタヒんでやる。ざまあみろ」みたいな内容だった。
でも母は連帯保証人等にはなってなかったから
弁護士入れていろいろ権利放棄して終わりだった。詰めが甘いよ父。

母が退院して、母の稼ぎで母子二人で暮らすようになったら
生活水準がグンとあがった。浪費する人いなくなったから。

1つ幸いだったのは、よく毒父持ちの人が
「父親に愛されなかった代償として、成長して父に似た人を選んで愛されようと共依存に…」
っていうのを聞くけど、うちの父があまりにあからさまなクズで
「お父さんに愛されたい」なんてカケラも思えないくらい嫌いだったから
成長して父に似た人を見ると即距離おく&逃げるようになれたこと。

なんでか嗅覚がはたらいて
「あっ!これは父タイプのやつだ!ピコーン」ってすぐわかる。
(ちなみにこの「父タイプ」は性別関係ない。女にも父タイプはいる)
あとヅラもすぐわかる。

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