学校・教師

326: 名無しさん@おーぷん 2014/06/24(火)12:00:10 ID:0C0TnntRI
俺の嫁は末期癌でタヒんだ。嫁がタヒんでから俺はショックと悲しみでダメになりそうだったが、
当時12歳(6年生)の娘がいたから、なんとか頑張らなければならんと思って精一杯頑張った。
娘は嫁がタヒんでから少々不安定で、心を落ち着かせるためか、嫁の結婚指輪を大事に大事に握っていることがあった。
嫁の指輪は娘には大きく、指に嵌めても無くしてしまいそうだったので、俺はチェーンを買ってやり、
指輪をチェーンに通して首にかけれるようにしてやった。娘は大喜び。俺もなんだか嬉しかった。
娘は学校以外では肌身離さず指輪ネックレスを身につけていた。首にかかる指輪を光らせながら仏壇に手を合わせる姿が心に響いた。

娘が中学2年生のとき、いつもは学校に指輪を持っていかない娘がうっかり首にかけたまま登校してしまった。
娘自身も体育で着替えをするまで気がつかなかったようで、その着替えのときにクラスの女子に指摘されたらしい。
その女子はやたらと「娘ちゃん、校則違反だよ」と言ってきたようで先生に報告。
先生は指輪を没収した。娘は泣きながら母の形見だと説明したようだが、校則は校則だと取り合ってもらえず。
これはうっかり学校に持っていった娘が悪いので、俺と一緒に仕事後に謝りに言った。

163: 名無しさん@おーぷん 2017/10/09(月)16:26:47 ID:0pT
小6のときの担任の話。
私の心が修羅場だったのと母と担任が修羅場だった。

小6の頃の担任、常に化粧もバッチリで髪も染めてて、いかにもギャルやってました感が満載。
生徒の社交性を重んじるって言ったら聞こえはいいけど、要はクラスの中心にいる運動の得意な活発な子を完全に贔屓してた。

私は端っこで金魚の世話したり絵を描いたりしていて、外遊びもリーダーシップをとるのも苦手だったから、当時もその先生から嫌われているのは自覚していた。
言葉や対応が明らかに冷たかったからね。

まあいくら嫌いでもこれはないだろって感じだったのが一学期の成績事件。
成果のわりにやたら低い評価をつけられたので母が直談判に行った。

この件は私が完全に忘れてたので母から聞いた。たぶん衝撃的すぎて封印してたんだと思う。

授業は静かに受けテストはほぼ100点、宿題も欠かさず出していた私の成績がオール3(五段階評価)でつけられてた。
5年生のとき(体育4、それ以外オール5だった)と全く同じ態度で授業を受けていた私は混乱して、夏休み早々帰宅するなり通知票抱えて玄関で泣き崩れたらしい。

私が泣きながら言ったことを要約すると、
「『もっと頑張りましょう』って何を頑張ったらいいの、宿題も全部出したのに」
「テストも全部お母さんに見せたよ、全部いい点だったでしょ」
とかいう頑張ったから怒らないでアピール。

小学校の頃は勉強も好きで、それなりのプライドもあったからショックだったんだと思う。
今では単位があっただけで喜ぶ私が贅沢を言っていたときもあったんだ(遠い目)


長いので一旦切る

970: 名無しさん@おーぷん 2016/03/02(水)17:19:03 ID:O0X
まとめを読んでいたら、卒業式シーズンなので、卒業にまつわる話が載っていて思い出した。
他にもいるんだなぁと思って読んでいたわけだけど、うちの娘も卒業式で、
ハンデのある子たちのお世話係をさせられる事になった。
しかも数人いるのに、それ全部。
理由は、数人中の数人が幼稚園から一緒で、うちの娘は取り扱いが上手かったから。
それ以前も、運動会や遠足、キャンプ、就学旅行、と、必ず一人二人は一緒のグループ
でもグループには他の子もいたし、娘がそれほど負担に思っていなかったから黙っていた。
娘ともう一人いつも一緒に付き添い役をする男の子がいたんだけど
その男子の親御さんからお断りされて、うちの娘一人にそれをさせる事にしたらしい。
私はそんな事全然知らなくて、お隣の家の子のママ(そこの家の子がヤンチャでヤンチャの扱いを覚えた)
から、なんか娘ちゃん大変な事になってるらしいよ、と教えられた。
帰宅した娘に聞いたら、「もう、すごいイヤ。○○くん(幼稚園から一緒の子の一人)
一人なら全然平気だけど、何人も無理」と泣きそう。
仲のいい女の子たちと先生に訴えたけど聞いてもらえなくて、
それぞれ親に相談する事にしようと話し合って帰ってきたところだった。
先生はお世話を娘に丸投げで、娘がまさに引率している状態で
娘の出席番号は一ケタなのに、その子たちの世話をするために最後尾にいるという。
もうビックリして、すぐ学校に電話した。

657: 名無しさん@おーぷん 2015/03/07(土)03:22:03 ID:hwK
高校生の頃の話。長い。
高校生の時、私は謎の頭痛を発症。通学中の電車内で痛みのあまり昏倒して以来、定期的に我慢できない頭痛と吐き気に襲われるようになった。
何か脳に不具合でもと心配になり、両親に脳神経外科に連れていってもらった。
結果、生まれつき首と脳を繋ぐ太い血管2本のうちの片方がもう一方より細いため、頭に血が昇ったときなんかに血流が悪くなり頭痛を引き起こしていたことが分かった。
先生からは頭痛を防ぐ薬と、副作用の強い頭痛を抑える即効性の薬を出してもらった。

これらのことは学校と相談し、全教員と私の学年の生徒に、私が酷い頭痛持ちであること・薬を飲まないと昏倒する場合があり、授業中でも退席し薬を飲みに出ることがあることを通達してもらった。
一部の教師は頭痛ごときで薬なんてとなめてかかり、そのせいでクラスメート全員の前でぶっ倒れたりしたが、その出来事も手伝って、ほとんどの教師・生徒の理解を得て、平和に過ごした。

だが、別のクラスの男子生徒Aが最低だった。
私の頭痛と薬の話が通達されしばらくたった後、急にわざわざ私のクラスに来て「厨二病こじらせてんじゃね?」とか「からだ弱いあたし可愛いでしょアピール?いたいわ~」などの暴言をぶつけてきた。
私は勿論、私以上に怒ってくれたクラスメート達も反論したが「精神系の病気?頭大丈夫でちゅか~?」と返され、好きで薬を飲んでるんじゃないのにと悔しくて、思わず泣いてしまった。
そこでようやく担任がやって来て、Aは指導室行き。その日の内にAの母親がAを引きずり血相を変えて謝罪に来た(Aの家から私の家はかなり遠い)ため、Aの処分は厳重注意と反省文で済んだ。
続く

407: 名無しさん@おーぷん 2015/04/06(月)22:30:58 ID:NnS
教師の職について3年、ようやっと仕事にも慣れてきた時、一年生から教えてきた生徒が卒業した
田舎の小さい学校で生徒数も2クラスしかなかったから、皆大切な教え子でもう感無量
卒業式のあと、生徒たちが「先生ありがとー」とか「先生の授業眠くなったこと一度もないよ!」とか「先生みたいな教師目指す!」とか、色紙と一緒に色々言葉を伝えてくれた
その流れで私が生徒たちに餞のことばを送ることになった
周りには保護者の方も大勢いた
私の言葉は一字一句正確に覚えてるわけじゃないけど、こんな感じ
「私は君たちと年齢が近いから、学生の頃の記憶は鮮明に残ってる
その記憶を振り返って、私は君たちみたいに、こんなに頑張って全力で学生やれてたかなぁって思うことがある
君たちはホントに立派に頑張った、部活も勉強も、勿論遊びも
私がその姿をしっかりと見てきた
これからは勉強も難しくなるし、出来ることもやることも増えるし、その分責任も増えて、躓くこともあると思う
でも君たち、三年間も頑張れたんだから、乗り越えられないことなんてない
だから、自分を誇って、自信を持って欲しい」
これを聞いた保護者から「学生より努力してない人間が先生をやる資格はない!」とクレームが入った
あの先生には三年生を担当させないで!とか、あんな若いのに努力も知らない人間が先生なんておかしいからやめさせろ、とか

946: 名無しさん@おーぷん 2015/04/30(木)14:33:47 ID:HA5
罪悪感で潰されるかと思った話
高校の頃クラスでSNSが流行り、当たり前みたいにクラスでSNSをやってる人はほぼ全員SNSで繋がってた
高校卒業後暫くして、1人の大人しい女子が「病院で検査受けろって言われたー」みたいな発言を残した
最初は皆「大丈夫?」「心配だよー」「何もないといいね!」とかコメントつけてた
暫くして「病気みたい?でも大したことないみたい!」と発言、それから暫くはいつも通りの日常の発言が続いてた
しかし女子はぽつりぽつりと「薬なんかいっぱい飲まされてる(;_; 早く元気にならなきゃ」「注射嫌だよ~(TOT)でもこれ乗り越えたらパフェ食べに行くんだヾ(。>﹏<。)ノ゙✧*。」みたいな絵や顔文字付きの発言が所々に挟まれるようになった
周りはだんだん「そういうの迷惑」「構ってちゃんウザい」「大学で友だち居ないんじゃねーの」とキツイ言葉を投げる人もでてきた
実際薬・点滴・検査・苦しい・辛い、なんて単語が頻繁に見られるようになっていた
でも明確な病名はどこにも書かれていなくて、どこの病院か、どんな治療かさえ書かれていなかったから、かまって欲しいがための仮病を疑う人も多かった
そして友達もどんどんと減っていった
女子は発言自体は減ったものの、その少ない発言が「タヒにたい、苦しい、辛い、生きたい」とかそんなものばかりになった
この段階ではもう誰も相手にしていなかった
構うと地雷みたいな空気まで出来上がっていた

ある日、成人式の前後に高校の同窓会の話が持ち上がった
女子には誰も声をかけていなかったようだが、気になっていたのでメッセージを送った
「私はもう歩けないよ」と帰ってきた
確かに前に何度か、天気がいいけど外に出られない、家に帰りたいといった発言は見ていたけど、それも嘘かホントか半信半疑だった
どこの病院にいるのかを聞いたけど、「いきなりだね、君も仮病を疑うんだ」とかえってきて教えてもらえなかった
俺はその女子と仲の良かった友達の存在を思い出し、ダメ元でメールを送った
教えてもらってから数年たつし、アドレスを変えていたらアウトだった
でも「誰?ごめん、携帯壊れてアドレスデータ飛んだから解らないの」としっかり返事がもらえた
事情を伝え病院を教えてもらい、二人でお見舞いに行った

病院にいた女子は過去の面影はどこにもなく、別人のようになってベッドで眠っていて、もう俺にもはっきりと解るくらい顔にタヒ相がでていた
あんなに目が落ち窪んだ人を見たのは初めてで、とても怖かった
友達は今は目を覚ます時間が殆どないと言っていた
「皆に入院したって伝えたって言ってたのに誰もお見舞いに来なかったよ」
「時々辛いのを愚痴っただけで皆離れたんでしょ」
「自分たちはSNSで人の悪口や妬みも平気で書くくせに、少し辛さを漏らしただけで酷い言葉を投げつけたんでしょ」
「タヒぬ時は1人って、こういうことじゃないでしょ」
友達はボロボロと涙を流して泣いていた
俺はかける言葉がなかった
それからまもなく女子は亡くなった
SNSで繋がっていた人たちにも伝えたが
「ほんとに病気だったんだ」
「自タヒ?」
「くたばるの遅すぎ」
こんな言葉を口にする人も居た
最後顔だけ見に来た人たちは、綺麗にしてもらっても隠しきれないかわりように罪悪感が顔から滲み出ていた

827: 名無しの心子知らず 2013/11/27(水) 09:02:30.38 ID:P4Pj2oG0
息子が小3だったころの話。

転校してきたばかりで、いじめというほどじゃあないのだけれどちょっとからかわれてばかりいた息子はわりといつもイライラしていたんだそうで。
ある日、同学年・別のクラスの男子がしつこく下級生の女の子を「バカ、バカ!」と怒鳴っているのを見て、普段の鬱憤もあってブチ切れた。
周囲には他にも大勢の子がいたが、みんな遠巻きにして何もできない。
息子はその男の子Aに「てめえ、何してんだ」と因縁付けてぶん殴り合い。
うちの息子は大人しい上に運動音痴なのだが、Aの虚をついたためか向こうが逃げ出すことになった。
放課後、担任のB先生から電話があってだいたいの顛末を私は知った。

494: 名無しさん@おーぷん 2017/08/16(水)08:03:53 ID:HNO
小学4年生の時、クラスに特殊学級に行くべき他害児童がいた。
今で言うと自閉症か何かだったのかな。ほとんどしゃべらなくて、唸り声のみ。すぐ癇癪を起こして噛みついてきた。
その噛みつきが容赦なくて、皮膚が破れて血が出てもさらに噛んでくる。
私は学級委員だったからその子のお世話係だった。
でも4年生ともなると男女の体力差が出てくるし、暴れ始めたら抑えるのなんて不可能だった。
要するに私が生贄になって噛まれたり叩かれたりし、その間に先生が授業を進めていた。
その子がなぜ普通学級にいたのかは知らない。
たぶん校長の方針か何かだったんだろうと思う。
その校長が赴任してくるまでは特殊学級が校内に存在していたのに、急に廃止同然になったから。

367: 名無しさん@おーぷん 2016/09/29(木)21:14:56 ID:xay
中学の時、ちょっと変わった同級生の男の子(A)がいた。
Aは例えば体育の授業でソフトボールをやると、自分がピッチャーじゃないと気が済まない。
他のポジションを与えると大声で文句を言い、思い通りにならないと泣き叫ぶ。
仕方なくピッチャーをやらせれば、打たれると同じようにキィィィィ!!となる。
ドッヂボールをやると執拗にひとりだけ狙った。その子はクラスで一番身体が小さい女の子で
毎回その子を明らかに狙っている。泣かしたこともあった。
その子が可哀想で、みんなで囲んで守ったこともあった。
そして自分がボールを当てられると激高してボールを遠くに蹴り飛ばしたりする。
とにかく我儘で自分勝手で協調性がない。
そのくせ勉強だけは学年トップだった。たぶんこれも一番じゃないと気が済まないんだろう。
今思えばなんらかの障碍だったような気もするが、当時は“勉強はできるが関わりたくない子”と思われていた。
3年生になっていよいよ受験一色になってきた頃、トップが入れ替わった。
これまで不動の一位だったAはトップを奪われたどころか3位だったか4位だったかまで落ちた。
(ちなみにうちの中学は上位20位まで廊下に貼り出していた)
そこから登校拒否が始まった。
先生たちは一生懸命説得に向かっていたが、私たちは正直言って受験のことで頭が一杯だったし
むしろ平和になったわ~って感じだった。
Aには悪いけど、いつもいつAが癇癪起こさないかとヒヤヒヤしてたから。
結局留年にならない程度には登校していたが、成績はどんどん下がり志望校も滑り止めもダメだったらしい。
以来Aがどうなったか話題になることもなかった。

成人式のあと、中学のクラス会があった。
前以て案内があって、卒業した中学の教室に集まることになっていた。
そこで初めて幹事からAが亡くなっていたことを知った。
幹事も案内状の回収で初めて知ったそうだ。
最初こそ微妙な空気になったものの、次第に久しぶりの再会に盛り上がるクラス会。
その会場に突然知らない女性が現れた。Aの母親だった。
そして誰の案内もなく唐突に挨拶が始まった。

347: 名無しさん@おーぷん 2015/11/08(日)03:50:20 ID:GuS
内容が内容なんで話半分で聞いてくれれば。

小学校から続いてたかなりハードな虐めを苦に中学で一人が自殺した。
マスコミにも情報を漏らさず、事態は学校の中で封殺された。

と言うのも、当時新任の校長先生が冗談抜きで修羅と化したから。
自殺した翌日に朝から全校集会、遺書の読み上げと黙祷、そして遺書に書いてあった虐めの犯人を公表。
学校自体サボってた主犯が親同伴で連れ込まれる。この時点で二時間経過。
犯人全員壇上に正座させられて徹底的な糾弾。遺書の内容を否定したらビンタというかパンチが飛んでた。

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